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コライトに対して憶う事

コライトをという言葉も最近めっきり進行してきた。作家活動を初めた当初から合作をしていた私にとって最初「コライト」という言葉が出てきた時少し違和感というか言葉の響きの悪さを感じた。もっと良い表現はないのかな?と。コライトキャンプなる意味不明のアクティビティーも存在する。コライトすると当然、著作権印税も作家間で割る事になる。これ以上、印税を切迫してどうなるの?とも思うけど主催者がそれ以上の収益性をクリエイターに担保出来るならそれでいい。と思っていた。ある時、その意味不明のアクティビティーのリリースアーカイブを偶然見たところリリース実績は皆無。逆に何がしたいのか、目的は何なのか?と、ものすごいレヴェルで一瞬だけ気になった。


コライトをする際にコライトパートナーと常に確認する事柄がある。仮に50/50の分配で2人で合作を仕上げ印税は50/50、なので採用数も2倍にしなければならない。そして作業効率、時間も全て1/2にする事はマストであり、メリットを考えるとそれ以上の効率性は求めないといけない。しかし前述した面白おかしいアクティビティーは、お互いのセンスのいい所を付け足し、足りない所を補うといったありきたりな化学反応以外のアドバンテージに対するプレゼンスは存在しない。そもそも参加するクリエイター達もほぼほぼ新人のせいかその事に疑問も感じない。新人クリエイターは音楽的なテクニックや制作知識過多になっていてセルフマネジメント能力は最初はまず持ち合わせていないし何が正解か知らない。リアルクリエイターと言えばそれまでだが、印税や制作費を頂くというビジネスの立場としては圧倒的に不利になる。勿論、究極レヴェルの新人が作家ネットワークを広げたい、業界の雰囲気を肌で感じたいと考えを持つのはベターだが、そのステータスの新人がそのアクティビティーに参加しても良い作品は作れない。仮に運良くコライトパートナーがレヴェルの高いクリエイターだったとして化学反応を一方的に求めても、恐らくその方に単に煙たがれる。


海外のトップクリエイター同士のコライトのアーカイブを目にする事がある。それ自体がマーケティングになっているステータスのアイテムはさておき、セッション的に仕上げる事はとても素晴らしい事だと思う。私も昨年、韓国Topのクリエイターチームとコライトする機会を与えて頂いた際とても貴重な時間だったと感じた。しかしこれはかなり高いプレッシャーと音楽的知識が必要とされる。出来ればマーケティング要素、完成された曲をどう売るか?という内容も把握しておくとよりスムーズになるというレヴェル。トップだとコライトパートナーをアテンドして頂く事が多く、初見さんのクリエイターが多いので、当然、その場でプレイヤーとしてのテクニック、歌唱力、DAW、mixのスキルなどリアルタイムのプレゼンスが必要になる。アーチスト同士の挨拶といった感じだろうか。当然、お互い少々上からのプレゼンテーションになりがちなのは、あるある、だが、そこにリスペクトが生まれるとスムーズなコライトセッションに移行する。当然そのチームと創り上げた作品はとても素晴らしいものに仕上がった。


私がコライトをする理由は単なるアイデアの搾取。というと聞こえが悪いが、たとえ自分のアイデアが曲全体の95%を占めていたとしても、introのワンフレーズ、サビあたまの1フレーズ、5%でも楽曲の持つポテンシャル全てが変わり、違いが出せる場合もあり50/50でもお釣りがくる。そしてコライトのクレジットを成就させるため、楽曲のクオリティーの担保は勿論の事、楽曲採用に向けての責任を制作が進行する瞬間から持っている。新人でも楽曲の中に僅かでも違いを産み出せると感じたクリエイターとは積極的にコライトを行なっていきたい。あと一つ重要な動機としてモティベーションの維持もある。これを以ってすると、上述した面白おかしいアクティビティーを開催する意味もギリギリではあるが理解出来る。収益性は皆無だが。


現在横行しているコンペ情報のばら撒き的なものもクライアントというよりクリエイター側の責任も強い気がする。いわゆる情報弱者にならない為にも制作以外の知識を身につける事が必要な時代では?と強く憶う。雇用者、労働者が存在して一般的には法的にも道徳的にも労働者のアイデンティティーは守られているがエンターテイメントのフィルターの中では全てが曖昧な感じがする。しかし、これから、このフィルターも緩やかに溶けていく気配を感じずにいられない。
*写真は藤末のプライベートスタジオ「A-Studio」簡単なmv撮りたい方はお気軽にお申し付け下さいませ。

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