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仏教にもっと音楽を!(Ⅲ)

このシリーズの第3弾になります。

私が「仏教にもっと音楽を!」と言うテーマでnoteに投稿いたしました経緯・理由等について説明させて頂きたいと思い筆を取りました。

尚、この文章を作成するに当っては、クラシック音楽評論家の和田大貴様とのいろいろなやり取りを通しての話の中で思い出されて来た内容を整理して記述した内容が含まれています。





1.始めに

私は、富山県の南砺市井波と言うところで生まれ、育ちました。


町には割合大きな井波別院 瑞泉寺と言うお寺が有り、その周りにも大小様々なお寺さんがありました。

井波は、いわば門前町と言われる田舎町でもありました。

そして私が生まれた頃は大変、信仰が盛んな土地柄でありました。


土地のお年寄りの人びとは、何か作業しながらでも、ことあるごとに、

「南無阿弥陀仏(なまんだぶつ)、
 南無阿弥陀仏(なまんだぶつ)」、

と口ずさんでおられました。

子供の私にとっては、そのような事はごく普通の当たり前の日常でもありました。

そしてそのような時に感じていた事をもう少し詳しく、振りかえってみたいと思います:::

子供の私にとっては、

このような世界は、
安穏で安らかな環境・社会であり、
子供心にも、信用できる社会でもある、

と強く感じていました。


そしてまたその他にも、お寺では、井波別院 瑞泉寺太子伝会(たいしでんえ)や宗祖親鸞聖人報恩講等など、また今は行なわれていないかもしれませんが、仏教の開祖・お釈迦様の誕生を祝う花祭りなど等が執り行われておりました。
井波は門前町の色合いがとても強い町でもあったのです。




2.そして宇治への旅行では、

その後私は、初めて宇治平等院に行く機会に恵まれました。

そこで拝見したのが、鳳凰堂(阿弥陀堂)での素晴しい伝統ある阿弥陀如来像(仏師・定朝)でありました。

長押(なげし)上の壁には楽器を奏でたり、舞いを舞っていらっしゃる姿の雲中供養菩薩像の浮き彫り(現存52体)が見えています。


中央にいらっしゃる阿弥陀如来像がそれまで拝見した阿弥陀像の中でも格別な像であることを感じていました。


そしてその阿弥陀如来像の周りには沢山の雲中供養菩薩様が楽器を奏でたり、舞を踊ったりされているのを見たのです。


それは、現在私達が知っている一大オーケストラの様相を示しているかのようでした。


今から500年近く前に、このような壮大なオーケストラの構成を先人の方々が既に楽しんでおられた事に驚きました。

後で知ったことですが、一般にオーケストラとは18世紀半ばの西洋に始まったと言われているとのことのようです。
それよりも200年程も前に、既に人びとがこのような演奏をされていたことを知り平安時代の人びとの豊かな音楽環境に驚き、言葉もありませんでした。






3.田舎から東京へと行く事になりました。


田舎の高校から東京の大学へ進むことになり、東京にある私の姉夫婦の家から学校へ通うことになりました。

東京は井波とは全く文化が違う、異文化の国に来たような気にさせられました。

家にはガスや水道があり、近所の方々とはあまり密な関係はなく、迷惑さえ掛けなければ自分の生活での自由度が高く、お隣がどのような方々かも知らないまま生活していても何ら問題も無く不便もありませんでした。


学生の私にとっては、最高の生活環境に恵まれての生活は全てが満足な状態でした。


そんなある日、確か12月の寒い日の夜に部屋で私が勉強している時の事でした。

外の方で複数の人びとのざわざわとした物音が聞こえてきました。


私が住んでいた所は、静かな住宅街で、その中でも車が通る道からもう少し入ったとても静かな場所でした。

こんな夜中に何だろうと思いながらも、無視していましたが、その内、何か人びとが歌い始めたのではないかと思われる音声が聞こえて参りました。

こんな夜中に歌うなんてと、思いながらも無視していましたが、やはり不審感が強まってきました。

そこで窓を少し開けて外を覗いてみました。

よく見ると、人びとは玄関前の少し広い場所に、手には何か灯り(ローソク)を持って立ちながら歌っておられるようでした。

そしてさらによく見ると、何とそこには7,8人ほどの男女の姿が薄暗い中に浮かんで見えました。


こんなにも多くの人が居たのかと思い、驚きながら何を歌っているのかともう少し窓を拡げて聴き入りました。

それは、私が今まで聴いた事もない知らない歌でありました。
ただ、男女の方々の歌声は意外にハーモニーが見事で、しばし聴き入っていたように思います。

その歌が終わったので、それで終わりかと見守っていると、再び歌う合図と共に別の歌を歌い始められました。

その歌はどこかで聴いた様な曲で、歌い進むにつれて私もそれが賛美歌であることに気がつきました。

その題名も知らないのに、賛美歌であることだけは分かりました。
以前にどこかのラジオ番組で聴いた事がある、記憶に残るメロディの素敵な賛美歌だったからであります。

このようにして、私もその美しい歌に聴き惚れたように没入してしまい、次々と歌われる曲に期待してしまっていました。

知らない曲も有りましたが、どこかで聴いたように思えた合唱曲を、生で聴いている事にとても興奮し満足し幸せな気分になっていました。

東京ではこんなにも歌で幸せになれる事があるのだと思い、その夜はなかなか眠れませんでした。

考えて見れば、田舎では味わったことのないおしゃれな東京ならではの経験をしたことにも興奮していたようでした。

それも見ず知らずの人びとの合唱をこっそりと聴いていただけなのに、その人達の合唱に心温まるような思いをするなんて、と田舎では感じた事も無いような不思議な体験をしたものだと思いながらやがて眠りに墜ちていったことを思い出します。


今になって考えて見れば、音楽の力はすごいなぁとただただ驚いていたようにも思われます。

しかもこの合唱では、多分歌っている方々の間には、一緒に歌うという行為によってある種の絆が生まれているかのように見受けられました。

その絆は、部外者である私を排除すること無く、むしろ私がその絆の中に取り込まれるかのような感情すら感じていました。

絆で結ばれた方々が個人の家の前で歌うという行為がなんと素晴しいことだろうと強く思いました。

これまでの短い人生の中で殆ど聴いた事の無いキリスト教の賛美歌を、このように目の前で聴いたことがとても信じられないくらいの大きな驚きを私に与えていました。

そしてそれを窓からそっと立ち聴きのように聴いていた自分も、いつしかその絆に引き込まれるかのように楽しんでいたことにも改めて驚いてしまいました。


きっと音楽には人びとを結びつけ沢山の人の心を惹きつける何かが潜んでいるのではないかとも思うようになりました。




それが、

「仏教にもっと音楽を!」

と言う文章を投稿させて頂いた大きな動機でありました。




4.世界文化遺産、宇治の平等院

キリスト教の賛美歌で音楽の素晴らしさに気がついた私は、

ある時に日本の音楽でもいろいろな和の楽器や日本音楽が存在していることを思い出して、それらが私達の日常にどのように関わりを持っているのか?と言う事に関心が出て参りました。


そこで思い出されたのが、昔訪れた事のある宇治の平等院でした。
現在は世界文化遺産となっておりますが、そのような気負いもなく見ていた当時の事が思い出されてきたのです。







世界文化遺産、宇治の平等院

藤原頼通が建立した宇治の平等院は、既に一千年近くの日時が経っています。

その頃の人びとが夢見た極楽浄土は、宇治の平等院にありました。

つまり、阿弥陀如来を中心にその周りに多くの雲中供養菩薩様が妙なる音楽を奏で人びとの安寧を祈ったその場こそが極楽浄土であることを示唆しているように見受けられます。

その世界文化遺産も現在では、あまり現実感がなく(作り事のように)受け止められているのではないかと、いささか心配になって参ります。


仏教界でも西洋の賛美歌のように日常的に人びとの中に息づいて人びとを癒やし、勇気つけて絆を呼び込むような音楽が必要ではないかと思うに至りました。


それは、藤原頼通の描いた極楽浄土の再現でも有りましょう。
藤原頼通の世界文化遺産宇治平等院は、今も私達にこのことを訴えているように思われるのです。


仏教の世界に音楽をもっともっと取り入れて日常的な信仰をより重層的な環境にし、より深い信心へと進めるようにして参りたいものです。


それが、千年前の藤原頼通の意志を無駄にしない私達の勤めではないかとも思うようになりました。



一方、西洋ではバッハを始めとした多くの音楽家達が様々な音楽をキリスト教の大きな影響の元で人びとに提示して参りました。


そして現在では、それらの音楽はキリスト教音楽と言われる世界を乗り越えて、「普遍性の高い音楽」、という立場を得ているようにも思われます。


今もそのような楽曲は世界中で普遍的に演奏され聴かれ続け、人びとの心を癒やし続けています。


ユーチューブ動画にも、そのような音楽動画が沢山溢れています。

例えば、欧米のコンサート動画で宗教に縁のある楽曲等の演奏では、人びとが目頭を押さえたり涙を浮かべたりする光景が度々現れて参ります。

そこには、愛や絆や倫理などの文字は何もありませんが、音楽の中に人びとに訴える最高の人間愛や心が感じられるからなのではないでしようか?

ここまで音楽を普遍的なものにした欧米の方々の長いご努力には大きなリスペクトさえ感じます。




私達はもう一度、千年前の藤原頼通の思いに学び新たなスタート台に立つべきではないのでしょうか?

そして、子供達が安心して住める信頼出来る社会を構築して行かなければなりません。

それには、音楽が人びとの心に投げかける力はとても大きく強力かつものであることを確かめ、色々な場面で活用して行くことが大切であるように思われます。








4.仏教の再誕生




4.1 仏教の誕生


私達はこのような視点から、新たな「藤原頼通の世界の極楽浄土」再構築へと眼を向けて参りたいと思います。

そもそも、仏教は、紀元前450年ごろのインドで生まれたと言われています。

「お釈迦(しゃか)様」が生まれた日は4月8日と言われており、この日に花祭りをして祝う所もあるようです。

お釈迦様は35歳の時に悟りをお開きになり、法(ダルマ)を説き仏教を広めていかれたのでした。

それが現在の仏教の始まりとも言えると思います。

更には、中国にもたらされ、さらに朝鮮半島の百済を経由して、日本の飛鳥時代には公式に日本の欽明天皇(509年 - 571年)に伝えられました。


日本には、元々神話による神道が存在していましたから、仏教と神道とのせめぎ合いが続きます。

用明天皇が即位されて、仏教が公認されることとなりましたが、対立は止まみません。


女性天皇の推古天皇の御代に至り、その摂政を務めた聖徳太子(574~622年)が有名な「十七条の憲法」を発布し、漸く方向が定まり始めたのです。

「十七条の憲法」の第二条には「篤く三宝を敬え」と書かれていました。「三宝」とはいわゆる「仏」「法」「僧」のことで、要するに、仏様とその教え、そして、それらを信奉する僧侶を大切にしなさい、ということです。

元文:::
二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは(ほとけ)・(のり)・(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。

三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

ウィキペディア 十七条憲法

このように、

「十七条の憲法」の第二条には「篤く三宝を敬え」と書かれていたのです。

こうして広まり始めた仏教が現在の日本の主要宗教として、人びとの心を癒やし支援し続けて参りました。


現在も仏教に関係しておられる多くの皆様の御尽力のお陰で、仏教の力は多くの人々の認める所となっています。


しかし仏教が更に人びとを癒やし、人びとの信仰を高めるにはやはり音楽の力を活用することも必要ではないかと思われます。


今、仏教は再誕生を待っている様にも思われるのです。





4.2 再誕生

私達は、精子と卵子との結合により、胎児になりました。

そして、更に胎児からこの世に生まれる事になるのです。

その時に、私達はある「大きな力」により、この世に生まれ出て参ります。



つまり私達は、

その昔、海中生物が陸上での生活に慣れるのに膨大な時間を掛けて進化してきたのに比べ、


誕生に当っての私達は、

わずか数時間で大きな変身を遂げて生まれ出てきたのです。



羊水の世界から大気・空気の世界での

生存(空気呼吸)へと自らを変身させてきたの

です。

これこそが、私達が未だ充分には理解していな

い何かある「大きな力」によるものだろうと考

えられるのです。


 ・・・・・・・・

「記憶」

また、私達自身はこの誕生にまつわるいろいろ

な記憶さえなく、そのような経験が意識される

こともなく過ごして参りました。


脳科学者と言われる人びとは、「その頃の胎児

の脳は未熟で記憶能力も充分でなかったから、

当然のことである」と結論づけることでしよ

う。
 
しかしその未熟な胎児が、酸素補給能力を失

い、羊水世界から空気呼吸の世界へ突入し、

同時に母体からの栄養補給をも失ってしまうと

いう大転換を意味する事の重大さを知っていた

のでしようか?


あるいは私達の未熟な胎児は、そのリスクを担

保する何かを、知っていたのでしようか?


それこそが、私達の長い永い祖先からの総意に

よる力であり、「縁」の力によるものであった

のでしよう。
 


 ・・・・・・・・

「大転換」つまり「再誕生」

これは、胎児から人間への大転換であったので

す。

胎児から人間への生まれ変わり、「再誕生」で

もあったのかもしれません。



この時の私達の「産声」は、

母胎からの独立、
母胎と母父への感謝の声であり、
人間としての独立を誓う儀礼、
羊水から呼吸への切り替え、栄養補給を母乳に
頼る事になるための儀礼でも有り、儀式でもあ
るのかもしれません。


そして「再誕生」を宣言する為の精一杯の自己
表現なのかもしれません。

 
更にはその大きな声は、民族や使用言語に関わ
らず世界共通で、約440Hz(1秒間に440回の空
気振動)で「ラ」の音と決まっているのだそうです。

人間としての尊厳を示す立派な声でもありま
す。

この声は、これからの栄養補給や支援等を
要求する主張でもありましよう。

特に、これ以降の命綱となる母乳、食料を求め

ている乳児の、未熟ながらの真に迫る要求でも

あります。


全力で生き始めた、生命の主張でも有ります。


これ迄とは全く異なる世界へのデビューを示

す、「一大転換」でも有ったのです。


「そうなんです、

 大転換であり再誕生なのです」


このように私達には、時には「無我夢中」に大

転換を果たさねばならない時もあるのです。


生まれ変わる事が必要な事もあるのです。


その時には、それまでの記憶も消えて、新たな

自分に大転換するのです。
 
 
 
 

 ・・・・・・・・

「導かれて」

しかも羊水の中の胎児の私達は、きっと無我夢

中のまま何か大きな力に「導かれるように」生

き続けて生まれ出て来たのでしよう。


いいえこれからも、人間としての私達は、

「導かれるように」生き続けて行くのです。
 
 
このような不可思議な経験を持つ私達は、更な

る難問にも対処する能力を有しているのかもし

れません。
 







4.3  仏教の再誕生


私達が慣れ親しんで参りました仏教も、ここに来て、藤原頼通の意思・夢をより確かなものに表現すべく、再誕生の時期に来ているのかもしれません。


具体的には、「仏教にもっと音楽を!」をと、音楽を信仰の中に組み込んで行く事に他ありません。


このことは、私達人間に共通・普遍的な欲求でも有り、信仰そのものと同じく何ものにも妨げられない生命存続の基本要件でもありましよう。


このような事から、仏教が人間の全人格的な欲求に応える有用な役割を果たす存在になってくるのではないでしょうか?


私達人間は、常に再誕生を果たして現在までの命を繫いで参りました。

これからもこの命を繫いで行けることを確信しております。











おわり



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