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No.061 浪人一年生。春から夏へ・フィルムセンター

No.061 浪人一年生。春から夏へ・フィルムセンター

(「No.060 浪人一年生。春から夏へ・迷えるしんや」の続き、です)

「自由を我らに」上映開始15時。料金80円。最寄駅地下鉄銀座線「京橋」。

銀座駅の隣か。地下鉄神宮前駅から京橋へ向かう。揺れる地下鉄の中で雑誌「ぴあ」の中の小さな地図に見入る。京橋は初めて訪れる。フィルムセンターは駅の出口からすぐのところにあるようだ。地図を一生懸命頭に入れる。Google マップの登場は数十年後のことだ。14時20分、電車は京橋に着いた。銀座の隣駅とは思えない小さな駅だ。降りる人も少なかった。

階段を上り、地上に出ると明治神宮の芝生に広がっていた陽光はなかった。原宿の人混みとはあまりに違う、多くの店舗で賑わう銀座の華やかさとも違う、グレーの無骨なビル群の質素とも言える景観が目の前にある。道行く人も少なく、スーツ姿の男性ばかりだ。こんなところに映画館があるのか?映画館とは繁華街の中にある娯楽施設なはずだ。

この街に不似合いなボロいジーンズにスニーカーの若者が一人、肩にバッグをかけ手に「ぴあ」を持ち、立ち並ぶビルと本を交互に見ながら「映画館」の袖看板を探した。行きすぎるところだった。ビルの入り口にひっそりと「自由を我らに」との立て看板があった。目立たない。ツッコミを入れたくなった。おいおい「自由を我らに」だろう、労働運動や学生運動ののスローガンならもっと派手にアジれよ。(アジる:扇動するの意味。agitationを動詞化したもの)

ここは映画館ではなかったのだ。国立の映画の「センター」なのだ。「映画」の授業を受講する気分になってきた。モギリの人も、案内係もいないビルの中のエレベーターで客席ならぬ小ホールに向かった。誰もいない小さなホールの前から七番目の真ん中に座った。椅子の並びとスクリーンが、どうにか「映画館」と呼べるものだった。苦笑いをしてしまった。ホールの形状が、行くのを拒否した代々木ゼミナールの大教室にそっくりだ。

程なく次の「受講生」が一人入ってきた。大学生かな、僕よりは年上だろうな。服装が似ていて、妙な親近感が湧いた。次にスーツ姿の男性が入ってきた。席に座るや、文庫本を出して読み始めた。僕は予備校をサボったけれど、あの人は仕事をサバったのかな。男女のカップルが入ってきて、どこに座るかと話してスクリーン右側の後ろの方に腰をおちつけた。二人はパンフレットらしきものを見て、話し始めた。

そうだ、ホールの入り口にパンフレットが置いてあったな。席を立ち、パンフレットの置いてある場所に行った。B5サイズの紙に上映予定が書かれていた。目を疑った。1930年代ヨーロッパ映画特集、上映予定作品「制服の処女」「巴里の屋根の下」「にんじん」「会議は踊る」「女だけの都」「舞踏会の手帖」・・・etc。キネマ旬報の誌上で名前のみ知る名作のオンパレード、しかも二日替わりの上映だった。

「お母さんが観た映画で好きなのって何?」以前、母ユウ子に尋ねた。母の口からいでた映画は「女だけの都」と「死刑台のエレベーター」であった。僕にとって観ようにも観れなかった幻の映画「女だけの都」が、あと五日後に観れる!お母さんに観たよって、話ができる!…予備校サボってとは言わないでおこうか…。ひとり、また苦笑いしてしまい、席に戻った。

ジー・・・!スクリーンが開く合図の音は、映画館と一緒だった。スクリーンが両側に開く。スクリーンが白く光り始める。スクリーンに文字が浮かび始める。スクリーンに音楽がかぶさり始める・・・。ここは、センターじゃない、映画館だ!

僕の学校は、教壇が前にあるすり鉢状の大きな教室から、スクリーンが前にある小さな映画館になった。

この年1973年、フィルムセンターを中心に「映画館」で180本の映画を見る。

「国立近代美術館フィルムセンター」2018年4月1日より「国立映画アーカイブ」となる。
1984年9月3日14:50ころ、火災が発生。数多くの貴重な映画フィルムが焼失する。(Wikipedia参照)


…ここで終われば、感動物語かもしれない。蛇足を加えたい。

代々木ゼミナールには初めの4日間のみ登校であった。この時は、親の懐(ふところ)の痛みも感じない酷い子どもだったかもしれない、次の年も浪人することになるのだから。

浪人2年後、当たり前だが、父武に叱られもする。この顛末は別の機会に書くことにする。亡き父武、亡き母ユウ子には感謝している。ありがとうございます。この年の夏には、自転車で新潟県直江津(現・上越市)から福岡まで走る。好き勝手な人生を送っている、送れている環境に感謝している。

真面目に勉学に励み、スムーズに大学に入ったら僕の人生はどうなったんだろう?今も嫌な部分を抱えた人間だろうが、もっと嫌な人間になっていたような気もする。

「貴族の生活ができる時代」になったと感じる。歴史的な詳細を書くのは控えるが、音楽も映画も限りなく簡単に手に入る時代になった。上の記事にあげた映画はほとんどDVDやらで観れるだろう。わずか40年前は今と比べれば凄く「不便で、音楽も映画も高価な時代」だったのだ。

いい時代になったと感じてはいる。敢えて自分の中にも問うてみる。不便ゆえの感動に似たようなものが、今あるのだろうか?人の感動は、便利ゆえに薄れてはいないか?そこから何か不徳なものが産まれていないか、何か失われていないだろうか?

ボブ・ディランを敬愛するしんやの蛇足の蛇足。
The answer, my friend, is blowin' in the wind.
友よ、その答えは風に舞っている

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