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バイリンガルへの道1

YouTubeを見ていると「〇〇すればあっという間に英語を話せるようになる」的な動画に遭遇します。かつて話題になった「1万時間の法則」を覚えている人なら「それはあり得ない」と思うはず。

それほど簡単に外国語を習得できるなら誰だって苦労しません。翻訳を生業としている私だって、それなりに知識を蓄積した上でバイリンガルになり、今でも学び続けていますから。

昭和の時代に秋田の山奥で生まれ育った私が、突然英語に興味を持ったのは小学校高学年。ある日、ラジオでPaul McCartney & Wingsの「Jet」を聞いて衝撃を受けたのです。

でも、そこでBeatlesに遡ることなく、その当時、世界的に大人気だったBay City Rollersに夢中になり、一気にBritish Popの虜に。まだ子どもですから、音楽性よりもルックス重視は仕方ないです(笑)。

中学生になると、校内の洋楽好きと情報交換し、海外の音楽ファンとの文通でマニアックな情報を交換しつつ、どんどん英語にのめり込みました。この頃のお年玉やお小遣いは郵便切手代に消えていましたね。

また、限りあるお小遣いでは欲しいレコードを厳選せざるを得ないため、友だち同士でレコードの貸し借りをよく行っていて、中に入っている歌詞カードを手書きで写していました。コピー機など近くにない時代です。

たぶん、発音でスペリングを予測できる能力が養われるきっかけになったのが、この「手書きの歌詞写し」だと思います。タイポすら気づかずに丸写ししていたため、大人になって歌詞対訳をするようになってから「あれって誤植だったのね」と気づいたり(笑)。

まあ、そんなこんなで、英語だけ得意な中学・高校時代を過ごし、大学の英文学科に進学。ここで始めて英会話の授業を経験するのですが、当時の授業内容では実際に会話できるまでには至らず、初めてアメリカに到着した直後は不安で泣きそうでした。

ちなみにアメリカに行った理由は、中学時代から文通していたペンパルに会うため(この子は音楽ファンとは別枠)。これで自分の人生が一変するなどと思いもせずに、1年間アルバイト掛け持ちでお金を貯めて実現しました。

ただ、ペンパル家族がゆっくり話してくれたのは最初の1〜2時間だけ。たぶん面倒になったんでしょうね(笑)。「あなたのためにならない」とか言って、普通のスピードで話し始めました。

それが奏功したようで、アメリカ到着6週間後のある朝突然、アメリカ人ですら閉口するスーパー早口のロキシー姉さんが言ったことを、オウム返しできるくらい聞き取れるようになっていました。

本当に、ある朝突然に、今まで聞こえなかったのが嘘のように、周囲の言葉がすべて理解できる瞬間が来るのです! まるで覚醒でもしたかのように。

この状態になると、あとは加速度的にお喋りになります(笑)。実際、周囲の人たちは「あなたがこんなにお喋りだなんて」と呆れていましたから。

それまでの10年強、好きというだけで増えていた頭の中の“英語の知識”が、6週間の英語シャワーで“実用的な言葉”に変化したのでしょう。1年弱の滞在を終えて帰国したとき、日本語がすんなり口から出なくなっていたほど、頭の中が英語に置き換わっていました。

こんなふうに、子どもの頃から好きでやっていたことが礎となり、実際に使わないと生きていけない状況が最後の一押しとなって、バイリンガル初心者が誕生しました。

そう、この時点ではまだ初心者で、バイリンガルの始まりにすぎません。能力の維持&向上には継続的な学習が必要です。終わりのない学びの道ですが、あれから40年近く経った今でも楽しい刺激を受け続けていますね。




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