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バイリンガルへの道6

特に順番を決めず、思いつくままに書き続けているこのシリーズ。今回はある程度スムーズに会話できるようになってから、周囲の人によくされた質問について書いてみます。

お喋りバイリンガル初心者も、夏頃には無事に中級者に成長しており、町内の日系仲間ReikoさんやTaroさんとも日本語より英語で話すことが多くなっていました。英語と日本語のポジションが見事に入れ替わった感じ。

周囲のファミリーは既に私をアメリカ人と見なしており、お悩み相談されたり愚痴をこぼされたりと、本当に普通の生活をしておりました。

そんな折り、前回のnoteで初対面の老人の差別発言にブチギレたRobbieが、ふと思い出したように「ねえ、なにか考えるときって日本語? 英語?」と聞いてきたのです。

「あれ、どうなんだろ?」と考えている最中に、この言葉がすでに英語になっていることに気づき、「あっ、英語で考えてる」と自分でもちょっと驚きました。

どのタイミングで日本語と英語が切り替わったのかは自分でも不確かです。ただ、6月半ばに日本の友だち数人がお金を出し合ってコロラドまで国際電話してくれたとき(当時の国際電話はバカ高でした!)、必死に日本語で話している私に、電話の向こうの友だち数人が「お前、日本語忘れたのか?」と驚いていたのを覚えています。

たぶん、その頃にはもうメイン英語、サブ日本語になっていたのでしょう。まあね、日々英語だけなので当然と言えば当然です。

続いてMarlaが「じゃあ、夢は?」と聞いてきたので、「今度、夢を見たあとで教えるね」と答えておきました。この時点では不確かだったのです。

それから1〜2ヶ月後、幼馴染み数人とその一人の自宅周辺で遊んでいる夢を見ました。この夢、私は下手な英語で話していて、幼馴染み全員が流暢な英語で話していたのです! 全員が日本語話者なのに、私の夢では完璧にアメリカ英語話者。目覚めて「そうか、私の夢ってもう英語なのね」と自覚しました(笑)。

もちろん、このことはその日にMarlaに教えました。彼女は「このままアメリカ人になっちゃえ」と。しかし、夢の中の幼馴染みのせいで里心が芽生え始めた私は、薄っすらと帰国のタイミングを考えるようになりました。

私を帰さないためにいろいろな人が養子縁組や結婚(ビザのため – もちろん違法です)のオファーをしてくれたのですが、自分としては日本の生活から逃避した感覚もあったので、一度帰国して大学に戻るべきだと強く感じるようになってきたのです。

最終的に、その年が明ける前に日本に帰国。苦学生だったので、年末の稼ぎ時にアルバイトをして生活費を確保しなくてはいけないという事情もあり、このタイミングを選びました。

親が家賃を払って維持してくれていた下宿の部屋に戻ってからも、2〜3週間は最初に出てくる言葉が英語のままで、同じ英文科の友人たちに日本語に変換してもらうという珍妙な状況が続きました。また、渡米前にアルバイトしていた所がもう一度雇ってくれたので、生活費の確保もできて安堵しました。

ここから徐々に頭の中の言語ポジションが日本語優位に戻り、数年後には英会話に自信をなくす日が来るのですが、コロラド生活で一変した考え方や意識はそのまま居座り続けました。事実、渡米前まで仲良くしていた人たちの本質的な意地の悪さや差別意識に気づいて、数人と付き合い方を変えざるを得なくなりました。

人は新たな視点を手に入れるともう後戻りはできないものです。コロラドでは言葉よりももっと、人として大切ななにかを学んだことは間違いありませんね。




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