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ほんの夏炉冬扇1

文芸翻訳と呼べるのか分からないのですが、昔よく請け負った翻訳仕事に歌詞対訳とワーディングがあります。レコード会社から直接依頼される仕事なのですが、大体1曲3000円前後の買取り。いろいろなアーティストの歌詞を対訳しましたが、ラッキーなことにラップ系アーティストを頼まれるのはまれでした。エミネムさんの歌詞を多く訳した知り合いの翻訳者は「1曲のギャラを1.5倍にしてくれと交渉した」と言っていました。あの量なら当然。

歌詞対訳は文字通り楽曲の歌詞の翻訳。短いので簡単だろ?と思いますよね? 実は、これが逆に大変なのです。もともと歌詞とはアーティストの頭の中を文字起こししたものなので、翻訳者は出来る限りのイマジネーションを駆使して、曲を聞きながら彼または彼女の頭の中を推測しつつ原文を読み、それを日本語に訳して行かないとダメなのですよ。

かつてリットーミュージックさんのサイトで「I LOVE YOUから始める英詞のレトリック」というコラムを30回書かせてもらったのですが、これを読んでもらうと英詞の読み込み方が垣間見える……かもしれません(笑)。

他の翻訳者は知らないのですが、私の場合は原文の改行に沿うように日本語を紡ぐことに務めました。日英の文法の違いで前後が逆になる表現が多いのですが、逆にそれを利用して、読んだ人が自分なりの解釈ができる余裕を持たせたいと考えたわけです。

歌詞は音楽と相まって意味を成すので、メロディの音符とリズム、その進行に最適な言葉の響きが選ばれます。メロディとリズム重視の歌詞では、「あれれ?」と途中で意味が見えなくなって、唐突に置いてきぼりを食らう文章がけっこうな確率で登場するのです。

それをそのまま訳すことで摩訶不思議さが増す場合もあるし、持てる想像力を最大限発揮して言葉を捻り出すほうが良い場合もあります。この見極めはほとんど直感(笑)。相手も直感で書いているんだから、こっちも直感で訳すぞ……ってなもんです。

今はアーティスト自身が歌詞を動画などで発表することが多く、ファンや英語好きがサイトや動画で対訳を発表していることが多いですよね。自分とは違う捉え方をしていても、それは間違いじゃなくて「解釈の違い」ですので、実のところ、どんな解釈もアリです。趣味で歌詞対訳をやっている人はどんどん続けてくださいね♬

英詞の対訳はここ10年以上手掛けていないのですが、その代わりに知り合いのバンドの日本語の歌詞を英訳する依頼が年に数回きます。これはブレインストーミング全開な作業で、ときには一つのラインを英訳するためにアーティストと2〜3時間話し合うこともあります。ネット上のライム辞典は必須。歌詞の英訳は音節と韻なくして成り立たないので。

ワーディングについても少し触れておきます。今の時代はもうないと思うのですが、昔は歌詞を提供してくれないアーティストがいて、翻訳者が曲を聞いて英詞を書き出すことが多々ありました。何が大変って、完成品の音源からボーカルだけを聞き出すこと。同じ音域の楽器音にかき消されている場合は歌詞の文脈から想像するしかなく、この仕事は常にモヤモヤしたまま納品したのを覚えています。ほんと、アーティスト自らリリック動画を作ってくれる今は天国です😇

ということで、次回はリアル文芸翻訳に戻ります。

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