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昭和のピンクのランドセル

両親とランドセルを買いに行った。
48年前の話である。
場所は高島屋。

赤いランドセルの中、唯一置いてあった、
ベビーピンクのランドセルを私は指さす。
「本当にこの色でいいの?」
母がたずねる。
うなづく私。
「本当にいいのね?ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー」

当時、子供の数が非常に多く、
1年生が1クラス50人の10クラス。
1年9組だった私は、
意気揚々とピンクのランドセルで登校する。
後でわかったが、全校生徒の中で赤か黒じゃなかったのは、卒業するまで私一人だった。

団地の中の小学校。
そこからだいぶ離れたギリギリ学区の一軒家。
3月末生まれで身長ゲキ低。
給食、ぜんぜん食べ切れない。
兄と10個以上離れているので、
お母さん年寄り。で、PTA会長。
とどめのピンクのランドセル。

はい、ターゲット決まった!

下校中にランドセルに飛び蹴りは当たり前。
団地の子はすぐに帰って、
武器を持って、茂みにかくれる。
私がエアガンを蹴り上げて壊すまで、
銃撃は続いた。

だけど、なんでだろ?
全然いやな思い出じゃないのは。
私が強かったからかしら。オホホ。
今の子供たちに比べると、
不安定で暴力的で危なっかしい時代だった。

カラフルなランドセルっていいよね。

赤か、黒。
女子か、男子か。
大人は偉い。先生は偉い。
悪いことをしたらぶたれても仕方ない。
連帯責任。みんなで我慢する。耐える。

それが当たり前で育った私たち世代が、
令和の当たり前についていくのは結構大変。
だけど、私たち、よくやってると思わない?

正しい方向にきちんと変えられるかしら?

思い出は思い出として、大切に心にしまって、
新しいルールを覚えよう。
きっとずっと素晴らしい世界になることでしょう
楽しみだね!










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