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拝啓、みこと心理臨床処 様

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2023年から始まったみことスタッフ3名によるリレー方式の往復書簡コラムです。 みこと心理臨床処の雰囲気を、皆様に、感じてもらえたらと思います。
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こころってなんだ?

「心とはなんぞや」とは、また大きな問をぶつけてきましたね。 見ることも、触ることも、質量を測ることも出来ない、つまり存在を科学的に証明することが出来ない「心」というものを、在ると仮定して、測り、分析し、学問にしよう、という、心理学の始まりからして、「心」とは明確に定義が出来ないものです。(操作的定義は色々とあるでしょうが) けれど、我々は「心」の存在を、難なく信じることが出来ます。それは、「心」は痛んだり、高鳴ったり、弾んだり、張り裂けたり、晴れたり、沈んだり・・・ 

心とはなんぞや

優しさの定義は難しいですねえ。私はあまり優しいと言われたことがないのできっと優しい人ではないのでしょう。そもそも優しさの優の字の字源を調べてみると、「憂」える「人」のことらしいので、こちらは当てはまっているかもしれません。 そう考えるとカウンセラーは憂える人であり、その姿勢やあり方が優しさゆえによるものと一般的に誤解されがちなのもなるほど、と思います。優しさがスキルになったり優しさでスキルが身についたりするならこんなに楽そうでシンプルなことはないですよねえ。 実は優しさを

優しさの味

前回のコラムで「優しさ」ってなんだろう?とありましたが、これは、ありふれているのに、難しい問ですよね。 私の中で「優しい人」のモデルは、子どもの頃から「風の谷のナウシカ」の主人公のナウシカでした。そのせいか、私の中で優しさはいつも強さとセットでしたね。人に優しくあるためには、強くなければいけない、みたいな。 「優しい」を辞書で引くと、①姿・様子などが優美である ②他人に対して思いやりがあり、情が細やかである ③性質が素直でしとやかである。穏和で、好ましい感じである ④

優しさのお届けもの

土砂降りの雨を前に、傘を忘れてどうしようかと思案している時に、後ろから来て傘を貸してくれるわけではなく、 「私たちも忘れちゃった! どうするかねぇ?」 と、笑いながら空を見上げるそんなイメージが、お二人のお手紙コラムを読んでいて浮かんできました。 そこから、一緒に雨宿りをするもよし、どこかのカフェでお茶をするもよし。もしくは、土砂降りの中で一緒に濡れながら帰るのもありかもしれません。途中の帰り道で、別々になってしまったとしても、きっと一人になった時、その時の様子を

後ろめたくて寂しい日

友がみなわれよりえらく見える日よ・・・ ええ、ええ、私にも覚えがあります。同窓の友人たちが仕事でどんどん活躍したり、海外に留学したりしていく中、自分は・・・ と。 自分が怠けているように感じるとき、他人のほうが自分よりずっと頑張っていると思うときも、恥ずかしくて頑張っている人の前に出られないような気持ちになりますね。 私は、自分の子ども達が小さいとき、育児と家事で手いっぱいで、社会で活躍する友人たちと比べて「なんでもない」自分が、かなり、後ろめたくて寂しかったです

友がみなわれよりえらく見ゆる日は

表題は という石川啄木の有名な歌の上の句を少々変えてみたものです。こうしてほんの少しでも変えてみると、啄木の歌の才能と、彼が抱えた痛いほどの孤独がありありと伝わって来ますが、それはさておき。  どうして自分だけ、という思いがもたらすものは本当に多岐にわたります。  そんな時は自分というものが卑小に見えて仕方なく、新しいものに手を伸ばしたり新しい場所に足を踏み入れたりといったことは難しくなるような気がします。  自分がそんな場所やものにふさわしいと思えなくなるから。

雨に歌えば

たまに、思うことはありませんか? なんで、この人は良いのに、自分は駄目なんだろうって。 同じことをしているはずなのに。同じぐらいの努力だったり、同じぐらいのミスだったり、同じぐらいのずるだったり、同じぐらいのわがままだったり。 そんなに違いはないはずなのに。 自分はなぜか、うまくいかなくて、許されなくて、損ばかりしてるような気持ちになることが。 人はうまくやってるのに、自分はそれが出来ていないような…。 でも、それってきっと方向性の違いなのではないかと思うのです。

ときには立ち止まること

 方向性の話からの連想です。私はセンソリーモーターサイコセラピー(Sensory Motor Psychotherapy)という身体にアプローチするセラピーを習得、実践していますが、このアプローチでは、しばしば、その身体の感じと共にありましょう(Let’s stay with your ( ) feeling.) とクライエントさんをガイドします。  例えば、その怖かった体験について思い出すと、身体の中で何か感じることはありますか? と尋ね、「肩が緊張します」と言われると

前がダメなら上へ

 スモールステップ。刻んでいくやつね。千里の道も一歩から、すべての道はローマに通ず、とかそんな感じ。  スモールステップにしてもビッグステップ(そんな言葉があるのか分かりませんが作ってみました)にしても、何か新しいことや大きな目標に向かうには勇気が要ります。その人が勇気を持って目標に進むための第一歩が大きかろうと小さかろうと、そんなことはどうでもいい。一歩踏み出したその勇気が大事。人類で初めて月面着陸したアームストロング船長ではないけれど、小さな一歩でも大きな進歩と言える時

虎穴に入らずんば虎子を得ず

 前回の『スモールステップの罠』を読んで、スモールステップが元々大きな目標を設定するのにあまり向かないと言っている通りなのだろうなぁと思います。    結局のところ『スモールステップ』という本来の用語とその使い方を、あんまりよく知らない人が自分の都合の良い一般化をし、それを聞かされて、やらされたりやってみようと思ったりした人が振り回されることになってしまう悲劇ですよね…。  半端に学んだことを半端な解釈で勝手に行うことの怖さを実感します。生兵法は怪我のもと。  とはい

スモールステップの罠

さて、苦手だけど嫌いではないとか、話が複雑になって戻ってきました。複雑になるのは、より正確になることであり、繊細になることなので、良いことだと思います。 私としては、「苦手」と「嫌い」は言葉としてはもちろん違う意味を持っていることは分かっていますが、「あの人嫌い」と言うと角が立ってしまうから、「あの人苦手なんだよね・・・」と濁す言い方をすることを想定して、「苦手な人」と表現したつもりでした。やっぱり言葉は丁寧に使わないといけないなぁと思った次第です。 苦手だけれど嫌い

好きと嫌いと苦手と得意

 苦手な人センサー!ええ、私のそれは大変よく働きます。第一印象であ、この人なんか変だ、と思う人は大抵苦手か、それとは正反対に、長く付き合えば付き合うほどまるでスルメのようにその人のいいところや味わい深いところが見つかってくる人です。 苦手な人、と聞いて「それはもう星の数ほどいるぞ!」と何故かニヤニヤしてしまった私なんですが、苦手でも嫌いではなかったりするのでめんどくさい。 そう、嫌いと苦手は違うのですよね、よく考えてみると。 好き/嫌いは「気持ち」或いは「感情」です。対

言葉にできない

「苦手な人」というのは、誰にでも一人や二人はいますよね。自分の中で「苦手な人」を分類すると、大まかに2種類に分けられます。    一つは、生理的に合わない気がする人。何が苦手と言えないけど、何となく苦手な人がここに入ります。  二つ目は、言葉で表現しやすい「苦手さ」。この人のこういうところが苦手と、しっかり言語化できる場合です。  二つ目の場合は、言葉で最初は表せなくても、だんだん気づいてきたり、考えたりして、この部分が苦手なのだよなと言語化していける場合もあります。言

苦手な人

お返事ありがとうございます。波長、リズム、テンポ。それぞれ経験によって培われた感覚によって、言葉にならない相手の特徴を掴んで、合わせていくスキルを持っているようですね。 先週のコラムで、相手のテンポが分かることを「特殊能力」と言っていましたが、これで言うと私の特殊能力(笑)は、相手がちゃんと説明できなくても、言いたいことを概ね理解できる、だと思いました。 心理職を目指す前からの特技で、特に「あれ、これ、それ」と指示語ばかりの人と、あまり苦もなく会話が出来ます(笑) 相