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最期にあいたい。

☆今日は怪談系のお話です。苦手な方はまた別の日に遊びに来てくださいねー。

母方の祖母

私の母の,母すなわち,母方の祖母は若くして夫を亡くし,3人の娘を抱えて,魚の行商をしたり,無理をしたため,結核になってしまった。昔の結核予防法で,結核の療養所に入った。
(今は,良い薬があるので,治療できて怖い病気ではなくなったが,まだまだ昭和30年,40年頃は今より大変な病気だった。)

私の母には,6歳上の姉B子がいた。
B子は若いシングルママで,小学生低学年のタカシ(仮名)がいたが,当時,今でいうネグレクト,児童相談所に連絡されるレベルの子育てをしていた。

B子は別の場所で仕事場に1人住み込み, 
タカシは,洗濯はパンツまで全てクリーニング,食べ物は近くの食堂でツケで1人で食べる,寝る時は間借り(昔の一軒家の部屋を個別に借りるシステム)している家の2階で,たった1人で穴だらけの布団に寝かされていた。

そんな状況の初孫を「タカシ,タカシは大丈夫か?」と,母方の祖母はいつも療養所で心配して末娘の私の母に聞いていた。

おばあちゃん

ある日,間借りしている大家さんから電話がかかってきて,
『タカシ君のおばさんですか?
実は今日の朝から,タカシ君が
「おばあちゃんが来た。おばあちゃんが来た。」ってシクシク泣いてるんです。
夢でも見たのかと思って,ずっとなだめてたんですけど,全然泣き止まないので,電話させてもらいました。
何かありましたか?』
ちょうど電話をもらった時,療養所から療養中の母親が亡くなったと,私の母に連絡が来た直後だった。

大家さんが言うには,
「寝ていたら,トントントンっておばあちゃんがボクの名前呼びながら階段上がって来たの。
おばあちゃんが来たと思って,布団から起きてみたらね,階段の一番上まで来たら,急にいなくなった‥。
悲しくなって,おばあちゃんどこ?って,ボク泣いた。」
そう話したそうだ。

最期まで。

祖母は1969年3月に亡くなり,その年の11月に私は生まれていている。
私が母のお腹にいる事は知っていて,犬の日に腹帯を巻きに行きたい,産まれたらお風呂に入れてあげたい,と話していたらしい。
末娘の子供は両親がきちんと育てるだろう。
しかし,B子のタカシは大丈夫だろうか?
無事育つだろうか?
あまりにも心配で,B子の息子に最期に会いに来たのではないかと,私の母が話してくれた。

亡くなる直前,人の心は時空と距離を飛び越えて,逢いたい人の所へ行くのかもしれない。
私が最期に逢いたい人は誰だろう。


最後まで,記事を読んで頂きありがとうございました😊また,もし良かったら,遊びに来てくださいね!