見出し画像

闘ってくれた人たち

もう、十年前のことになる。さいたま市の公民館が、憲法九条を詠んだ俳句を、そこの公民館に掲載をしなかったという小さな事件があった。その女性は、国とか上部に忖度したのだろうその公民館や行政に、抗議をしたけれども解決に至らなかった。それで、その人は国に「表現の自由」の権利を求めて裁判を起こした。
今の世の中からすると、いやそうでなくっても、その女性は気の利かない人だったかも知れない。図々しくってあきれた人だったかも知れない。(私の知り合いにも、特に関西圏の人にこの話をすると「ようやるわ」という答えが返ってくることが多い。)でも、その女性は裁判所でこう言った。「自由にものが言える。自由に表現ができる。当たり前のことがあたりまえに守られるよう、判決をよろしくお願いします。」と。
結局、この裁判は最高裁で原告の女性が勝訴を確定した。市と公民館は、彼女に謝罪し五千円を支払うことになった。
今、果たしてこういう裁判で、市民の側が勝てるのか分からない。でも、その女性が公民館の職員さんとかに、くだらない遠慮をしたりしないでくれた。自分の時間とエネルギーを、たとえ売名と言われても裁判という気の遠くなるような作業に割いてくれたから、私はさいたま市民文芸という冊子の編集が安心してできた。編集委員をおりてからも安心して投稿ができた。
もうひとつある。これはもう、私も実際にピアサポの会で会わせていただいた遠い知り合いの女性なのだが、この人も一度、(残念ながら詳しい経緯を知らないのだが、)さいたま市と裁判をしているのだ。もうおそらくは十数年か二十年前のことだと思うが、この人は、統合失調症を患っていて、しかも夫は彼女を殴って、働かない人だったと聞いている。心身が弱った彼女は、赤ん坊にカロリーメイトを買ってくるのが精一杯だった、という。おそらくは、精神の強い障害のせいがあったのだろう。この裁判がやはり勝訴したので、今現在の私はほとんど利用をやめてしまったが、家から出て一人暮らしを始めた頃。まだ、服薬量が多くて落ち着かなかった頃に、家事支援という市の援助が受けられて、それで何とか、一人でも地域で暮らしていけるようになったのだ。
今の人が、例えばXでこの話を聞いて、どういう反応をするのかと思うと、私は本当に怖い。「贅沢だ」「税金の無駄遣いだ」「障害があるなら結婚をするな」「自力で子どもの世話が出来ないなら死ね」というような罵詈雑言が、たちまち飛んでくるに違いない。・・・でもその女性は、たぶん自分のためではなくて、赤ちゃんが死んでしまうから助けて下さい、と裁判を起こしたのだ。そこに、世間への遠慮はやっぱりなかった。なくてよかった。この人がいたから、多くの統合失調症の患者が、親頼みで無く暮らせるようになったのだ。そのなかに当然、私もいる。
そういう、世間には非常識ととられる闘いをあえてしてくれた先輩の女性達を、私は忘れない。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?