適応障害で休職した話
僕は11月25日に適応障害の診断を受けて休職することになった。
正確には病気休暇という扱いなのだけど、休職と表記します。
原因は上司からのパワハラ、前の部署にいた時から一緒に仕事したらヤバい人間だとは思っていたけど、4月の人事異動でまさかの直属の上司になってしまった。
4月早々から目をつけられて毎日詰められるようになり、6月頃には既に胸が痛くなったりしていた。
ネットで症状を調べると適応障害そのままだった、ストレス因の始まりから3か月以内に気分や行動面に症状が現れるというところから合致していた。
なんかこの頃からすでにやばい気はしていた。
上司以外の同僚との関係性は良好で、とても優しい人たちだ。
そんな人たちに仕事を押し付けて自分だけ休むなんて6月時点では考えられなかった。
だが上司のパワハラはエスカレートしていき、僕自身も全く仕事に手がつかなくなっていた。
言われたこともすぐに忘れてしまうようになっていて仕事にならない。
そして叱責される負の連鎖に陥っていた。
そして11月下旬には限界が来てしまい、心療内科で診断書を書いてもらって休むことにした。
今までの直属の上司はみなさん優しかったものだから、忙しい部署で毎日終電帰りのような激務に追われても壊れることはなかった。
自分は案外強い人間なのだと思っていたけど、人間関係一つでこうもあっさり働けなくなるとは思いもしなかった。
パワハラ上司にはもちろん言えるわけがなく、さらに上の課長級の上司に連絡したらあっさりと受理された。
最初に思ったのはもっと早く休めばよかったということ。
6月時点で辛かったのにそこから5ヶ月も無理して働いた自分が今ではすごいと思う。
急にストレス源から開放されて暇人になる。
最初の数日は同僚への申し訳なさから外には遊びに行けず、家に篭ってアニメを見たり、部屋を掃除したり、ごろごろして過ごしていた。
だけど家に篭っていて良いことなんて何もない。
寝れば上司から嫌味を言われる夢にうなされて、夜中に絵に描いたようにバッと起き上がって息切れするなんてこともあった。
最初の1ヶ月はこういう夢をよく見ていた。
だから僕は思い切って遊びに振り切ることにした。
だって僕が休むことになって同僚の業務量が増えたのは上司の責任なのだからと開き直らないとやっていけないのだ。
とはいえやはり同僚らへの申し訳なさはずっと感じてきた。
休職前の僕の状況を間近で見てきた同僚からは「Mikumaさんは気にせずゆっくり休んでください!僕たちでなんとかやりますので本当に気にせず!」とメッセージが来ていた。どれだけいい人たち過ぎるんだ。
休職期間中、12月は恩師の写真展を見に東京へ行ったり、元々決まっていた家族との沖縄旅行に行った。
正月が明けてからはまた東京に行って2週間滞在して、2月には香港にも旅行へ行った。
とにかく毎月旅行に行った。
そして趣味の写真を通じて知り合った仲間たちとひたすら遊んだ。
旅行に行けば行くほど、仲間と遊べば遊ぶほどにこころが元気になっていくのを感じた。
休養中に旅行に行ったりすると疲労から症状が悪化すると書いているネット記事なども見たのだけど全くそんなことはないし、むしろ遊ばないと心が死んでいく気がする。
※ただし適応障害の場合であって鬱については分からない。
最初の1ヶ月はすごく長く感じたが、2ヶ月目、3ヶ月目と時を重ねるにつれて慣れてきたからか休みがあっという間に過ぎていくのを感じる。
この長い休みの中で転職も考えたが、色々見て思うのはどうしても今の職場の福利厚生に敵う仕事なんてないこと。
大きい組織のため、人事異動次第ではまた元気に働ける可能性があること、高卒なのでそもそも大した仕事が見つからないこと、下手に未経験の業界(高卒でもIT系はベンチャーが結構募集してた)に今から飛び込んでも合わずにまた潰れそうという思いから結局、今の仕事を続けることにした。
なかなか休職に踏み出せずに病んでしまう人は責任感のある真面目な人なのだと思う。
だけど何より大事なのは自分自身だし、時には無責任になることが必要なのだと休職してとても実感した。
そんな僕も2月26日から復職となる。
上司と顔を合わせたくない反面、気持ち的にはもう少し休みたいのだけど、人事異動の関係もあってこの日に出勤しないといけないから仕方なくという気持ちもある。
不安でいっぱいだけど頑張って出社する。
休職中、よくこの曲を聴いていた。今でも聴いている。
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