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お金は発達障がい者の悩みを解決する

他人に対して感じる『苛立ち』や『不快感』は、自分がどんな人間なのかを教えてくれる

C.G.ユング

「そうね、そうねぇ…」

 先日、本部の研修担当の方に業務のフィードバックをいただきました。

 僕たちの施設は、とても優秀です。

「また思い上がっちゃって…」

 そうですか?

 立ち上げて一年足らずで、全90店舗中売り上げ一位になった僕たちの実力、認めてください🙂

 半年に一年ほど、本部の研修担当の方が評価にいらっしゃいます。

 僕たちの施設は、フランチャイズです。

 本部のシステムを買い、運営しています。

 本部としては、この事業を株式上場しない方針です。

 株式上場すれば、株主に利益還元することが最優先されます。

 その時点で、福祉は障害者ビジネスになるよう運命付けられます。

 だから、株式上場しないんです。

「役所を敵だと思うから、敵になるんですよね…」

 役所とのやりとりを担当する僕は、研修担当の方と交渉について話していました。

 研修担当ということは、その方は僕に教える側の存在です。

 立場としては上となり、本来敬語でやりとりをするべきものと言えるのでしょう。

 もちろんそのようなやりとりをするのですが、役所とのやりとり、文章の残し方について話していくうちに、その方は少しずつ対等の立場で話すようになりました。

「そうね、そうねぇ…」

こだわりが満たされた時

 その研修担当の方との対話はとても心地よいものでした。

 前提とする知識、それを自身の価値観に落とし込んでいるというところ。教養の深さ、論理展開の素直なところなど、とにかく話が早く、聡い方だと思います。

 仕事を続けるうちに感じている物足りなさが満たされていくような感覚を感じました。

自分の居場所は作るものであり、見つけるものでもある

 自分の居場所というのは、こういう方に囲まれたところじゃないのかな?

 振り返るとそう思います。

 本部に勤めたいという意味ではありません。

 ただ、仕事という人生の三分の一を使う時間を、近しい価値観や知識を持ち、同じくらいのこだわりを持つ人たちと居たいという素直な気持ちに気づきました。

情を優先したくない

 僕はあまり情に重きを置きたい人間ではありません。

 最大多数の幸福が、基本的な行動原理の人間です。

 それは、合理性とも言えるかもしれません。

 自分の理想を成し遂げるために、合理性が手段として最適だからです。

ひどい人だな

 そう思われる発言を、僕はよくします。

 ひどいことは言いたくない。

 でも、それが目的を達成するときに、一番人を傷つけないやり方の時は多い。

 情に流されると、そんな発想ができなくなります。

 社会全体が優しくなるためには、その場のやさしさより、全体の流れとしてたくさんのやさしさが出来上がることを見越すのが、正解だと考えているんです。

 そんな考えの僕には、福祉の世界は案外居場所がないなぁと思う時が増えてきました。

福祉は良い、経済も良い

 福祉と経済は両輪と言われます。

 ですが、どちらかを立てるとどちらかが引っ込むことが、日本では多いように見受けます。

 そして、引っ込んでいるのは主に福祉かなぁと。

 経済的な豊かさが、心の問題を大きく救うこと、それって当たり前だと思います。

 だから、大きな流れでの得。最大多数の幸福という視点が重要だと思うんです。

 目の前だけをみていると、経済的な豊かさが逃げていくからです。

ITの就労は障害者就労の最適解

 障害者就労は、基本的に最低賃金がおおいです。

 まるで、「お前たちにはこんなもので十分だ」と言っているように思う時もあります。

 ITの障害者就労は、賃金の違いがありません。

 それは、裕福な経済を保証します。

 障害のある方は、人よりお金がかかります。

 だから、人より稼いで初めて安心が得られると思うんです。

 だから、将来の経済に安心感が持てる就労をしていただきたい。

 僕の仕事はIT就労に特化している。

 それは、支援員としてとても仕事の満足度が高い。

 最大多数の幸福という視点からも、福祉の仕事としては今の仕事が最適解だと思います。

自分は、福祉がしたいのか?

 答えはノーなんです。

 僕は、旅をして遊んで暮らしたい。

 働きたくないんですよ…

「そうね、そうねぇ…」

 本部の研修担当者さんは、そう呟くのでしょうか?

 かかわりは少ないので、その方についてはよく知らないのです。

 先日感じた、同志のような感覚は、また違和感を感じる時があるのでしょう。

 ですが、わずがながらの時間でも、孤独を忘れることができた。

 同志だと思える人が増えると、この孤独はきっと減ると思います。

「…さみしい!」

 父が亡くなる少し前、母が涙を流しながら、僕に言いました。

 辛い思い出もあり、とても感動的な思い出でもあります。

 いつか誰かが、僕がそばにいないことに、涙してくれる時が来るのでしょうか。

 いつか僕は、誰かがそばにいない時、涙を流して寂しいと言える時が来るのかな。

 根拠のない自信ですが、どっちもあるに決まっていると思います。

 それにしても…

 これは最大の賛辞なのですが…

 あの本部の研修担当の方…

 知的な女性で、綺麗な外見で…

 …絶対、他人の指図に従うようなタマじゃないと思います🎉

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