ぺけ

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻の修士3年生です。メキシコの食と農について…

ぺけ

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻の修士3年生です。メキシコの食と農について研究しています。 アグロエコロジー、連帯経済、エコフェミニズム、社会運動、サパティスタに関心があります。現在野菜作り、コンポストとコーヒーにはまっています。

最近の記事

25歳、メキシコから帰国後、野菜作り(家庭菜園)を始めるまで

こんにちは。久々の投稿となります。ぺけです。 2020年4月にメキシコ留学から帰国して、2年が経ちました。コロナやら就活やら修論やらの影響で、人生の中でも最も自分に向き合うことが必要だった2年間だったなと思います。もう十分家にこもっていろんなことを考えたから、今年は考えを表に出したり、行動に移したりする年にします。 さて、2019年8月から始まった、約7か月のメキシコ留学では、メキシコシティのソチミルコ、グアナファト、ケレタロ、メリダなど、様々な地域の農村に訪問させてもら

    • 時がとまったみたいに

      空が近い。一面に広がる青空に、 サボテン、畑、雲 うろこ雲。 まっさらな山 黄色い土地 遠くが見える 雲がゆっくり動いてる。 木が点々と生えている。 牛がぽつぽつと。背の低い木が。 家屋がぽつぽつと。 そして教会。 長い長い貨物列車。ボロ屋。 すべてが止まったみたいに。 パイナップル売るおにいちゃん。 今日も暑いなあ。だるいなあ。 レンガ屋さん。 今日も彼は家を修理する。 バスを待つ人。ガソリンスタンド。大学。 モーテル。ドンペドロ。 インペリオ。 ラ・セレナ。

      • コヨアカンの思い出

         ホームステイ先の地域のコヨアカンは、中所得層や富裕層が住むところで、ごつごつした石畳が特徴的だった。段差があって歩きづらく、転ばないようにずっと下を見る必要があった。バリアフリーの観点から言うと全然高齢者やケガしてる人、病気もちの人には優しくないけど、見た目はかわいいし、愛着が湧く道だった。昔からそこに住んでいる人も多くて、毎日学校へ行くのに通る道の人たちは、私のことを覚えてくれて、“Hola!”と声をかけてくれたり、話しかけてくれたりした。話が終わらないおっちゃんもいて、

        • 死と隣り合わせの日常が生きるエネルギーをくれた

           「あ、もしかしたら今日銃で撃たれて死んじゃうかも」。留学中、メキシコに住んでいた以上、家から出るときは常に考えていたことだ。実際、7か月住んで、国内を移動したりもしたけれど、何か盗まれたり、怖い思いをしたりしたことは一度もなかったから、想像していたよりは安全なところだとは思った。しかし、犯罪だけでなく、日常の中にたくさんの危険が潜んでいた。車にひかれるかもしれないし、誤って銃で撃たれてしまうかもしれないし、教会での花火が爆発するかもしれないし、バスや電車の急停車で頭をぶつけ

        25歳、メキシコから帰国後、野菜作り(家庭菜園)を始めるまで

          メキシコ農地訪問①―ミルパアルタ―

           私は、メキシコ国立自治大学(UNAM)の語学学校(CEPE)に2019年9月から2020年2月まで通った。語学学校では、言語のクラスに加え、文化関連のクラスも履修することができ、1月から2月にかけては、メキシコの先住民について学ぶクラスを履修した。そのクラスでは、先生に、メキシコシティ近辺の様々な農村に連れて行ってもらい、農民の方々にインタビューさせていただいた。たまたま生徒が私だけだったということもあり、毎回関心に沿ってたくさんのことを質問させてもらい、様々な情報をいただ

          メキシコ農地訪問①―ミルパアルタ―

          メキシコ(シティ)の女性について

           メキシコシティで半年間暮らして、いろんなメキシコ人女性と友達になったり知り合ったりすることができたけれど、共通しているなと思ったのは、多くの人が自信を持っていて生き生きとしているということだ。他の人の目線をあまり気にしていないように思えたし、いろんな生き方を模索しているように見えた。それは、様々な生き方を社会が認めているということも意味しているようにも思えた。そのため、生きやすさは男性にも共通して言えるだろう。それはなぜなのか、考えてみたい。このことを一人で考えるのは限界が

          メキシコ(シティ)の女性について

          メキシコ留学を終えました

          帰国までの経緯 4月8日、コロナの影響で、留学を中断し、日本に帰ってきた。メキシコにいたい気持ちはあり、ぎりぎりまで荷物もまとめず、本来帰国予定日だった7月31日に帰ることも検討していた。しかし、参加している日墨政府の交換留学プログラムの担当であるCONACYT(メキシコの文部科学省)から、希望者の早期帰国が認められ、家族に相談すると、母に一刻も早く帰ってこいと言われた。実際、3月半ばから通っていた大学は閉鎖され、政府から自宅待機の指示が出され、ほとんど家にこもりきりになり、

          メキシコ留学を終えました

          移民から考えるメキシコの人々の寛容性

           これまで3か月メキシコで過ごしてみて、全体として、メキシコの人たちは「人見知りしない」「フレンドリー」「寛容」であると思うことが多い。パーティーに様々な人を受け入れ、初対面でも積極的にコミュニケーションをとったり、日本も含め、他の国の文化(特にヨーロッパ)に対して憧れや尊敬の念を見せたり、バスの中で、たまたま隣り合った人同士で世間話を始めたりしているのを見ると、その人懐っこさと好奇心に、驚かざるを得ない。それらはどうしてなのだろう、と考えてみたのだが、どうもこれまでやってき

          移民から考えるメキシコの人々の寛容性

          メキシコのフィエスタ(パーティー)について

           10月10日に語学学校の試験が終わり、11日から17日までグアナファトへ旅行していたので、しばらく机に座ってじっくり考えたり何かを書いたりということをしていませんでした。2か月間、とりあえず語学学校やメキシコシティの生活に慣れるのに必死で、疲れもたまっていたので、とりあえずすべてをリフレッシュしたいという気持ちで、目的のない行動ばかりしていました。グアナファトで十分気分転換して、きのうメキシコシティの家に戻ってきて、ゆっくり休んで、やっと書こうという気になりました。とりあえ

          メキシコのフィエスタ(パーティー)について

          メキシコシティの気候について

           メキシコシティは、標高の高い位置にあるという話は以前しましたが、実際気候はどうなのでしょうか。寒いのでしょうか、暑いのでしょうか。雨はどのくらい降るのでしょうか。  1か月ほど過ごしてみて、気温や湿度に関して言うと、とても過ごしやすいなと思います。日本の夏のように湿度が高くなく、気温が30度を超えることもめったにないです。ここ1か月(8月半ばから)は、ほとんど長袖で過ごしました。しかし、朝と日中の寒暖差は激しく、朝14度くらいでも、昼はだいたい23~26度なので、服選びは

          メキシコシティの気候について

          メキシコシティの治安について

           メキシコに来る前は、「メキシコは危ない」というイメージが一番にあって、恐怖心がとても強かったし、来てから2週間くらいまでは外でずっとびくびくしていました。しかし、1か月経った今、少しリラックスしてきました。というのも、どこが危険で、何に気を付けなければならないのか、だんだんわかってきたからです。これから書くことはすべて私の感覚なので、実際の犯罪の発生状況などとは異なることもあるかもしれませんが、感じたそのままを書きます。  家の近所や語学学校へ行くまでの道程は、それほど治

          メキシコシティの治安について

          メキシコシティの食べ物について

           メキシコシティに来てから3週間が経ちました。メキシコも楽しいし日本も恋しいです。まだ何を食べたら確実においしいのか、健康でいられるのか、どのくらい行動しても大丈夫なのか、体力を保てるのか完全にわかっておらず、あまり行動できないもどかしさもあるし、逆に元気が有り余っているときは、ちょっと無理して疲れてしまうこともあります。完全に一人暮らし(料理を自分の分だけ用意する)するのも初めてなので、変に買うのを我慢したり、外食で安いジャンキーなものばかり食べてしまったりします。  ど

          メキシコシティの食べ物について

          メキシコ 公共バスの魅力について

           8月27日、月曜日から大学の語学学校の授業が始まりました。毎日あるのかと思っていたのですが、8時から9時の文法は月水金、午後のダンスのクラスは水木だけだと知り、少し余裕ができたなとほっとしました。9時から12時のスペイン語のクラスは、平日毎日なので、早起きしなければ、と気が張ります。  学校へは、公共のバスで行きます。メキシコシティでは、メトロブスという、道路上に専用レーンが設けられたバスか、メトロ(地下鉄)を利用するのが一般的なようです。しかし、私はそれらが利用できない

          メキシコ 公共バスの魅力について

          メキシコ留学 初めての日曜日

           25日土曜日に、1週間ほど滞在したホテルを出て、決めた家に引っ越しし、メキシコに来て初めての日曜日を迎えました。私はコヨアカンという歴史的な地区に住むことになりました。家賃は月に33000円ほどで、自分専用のシャワーとトイレが2階の部屋の横にあって快適です。1階のキッチンも大きく、道具がなんでもそろっています。冷蔵庫は2つあって、1つは自由に使っていいよと言われました。家が広く、部屋数も多いので、家族との距離感もちょうどいいです。おばあちゃんのMさんと、その息子さんLさんと

          メキシコ留学 初めての日曜日

          なぜラテンアメリカ、なぜメキシコなのか—観察するにあたっての視点—

           メキシコで1年間住むにあたって、様々な人からなぜメキシコがいいのか、尋ねられることが増えました。そのため、改めて自分の原点を振り返ろうと思います。大きく言えば、小さいときに山口県から埼玉県に引っ越したこと、中学高校で「持続可能な開発」について学んだこと、家族の問題で悩んだこと、大学1年生でインドに行ったことがきっかけだったと思います。    私は山口県で生まれ、小学校1年生まで田舎で育ちました。海、山が近くにあり、特に海にはしょっちゅう行きました。家の周りは田んぼしかない

          なぜラテンアメリカ、なぜメキシコなのか—観察するにあたっての視点—

          メキシコで1年間暮らします

          はじめまして、ぺけです。現在、大学院修士課程1年で、ラテンアメリカの社会運動について研究しています。 現在8月から、日墨戦略的グローバルパートナーシップ研修計画の47期生として、メキシコに1年間滞在します。今回はプログラムの説明を行いますが、それ以降はメキシコに住んでみて感じたことや、日常生活でどう過ごしているかなど、様々なことを素直に書きたいと思っています。 私の参加しているこのプログラムは、スペイン語の習得を一番の目的としていて、参加者はメキシコ国立自治大学UNAMの

          メキシコで1年間暮らします