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25歳、メキシコから帰国後、野菜作り(家庭菜園)を始めるまで

こんにちは。久々の投稿となります。ぺけです。

2020年4月にメキシコ留学から帰国して、2年が経ちました。コロナやら就活やら修論やらの影響で、人生の中でも最も自分に向き合うことが必要だった2年間だったなと思います。もう十分家にこもっていろんなことを考えたから、今年は考えを表に出したり、行動に移したりする年にします。

さて、2019年8月から始まった、約7か月のメキシコ留学では、メキシコシティのソチミルコ、グアナファト、ケレタロ、メリダなど、様々な地域の農村に訪問させてもらいました。それぞれ1日くらいの滞在だったので、これらの訪問は、研究調査とまで呼べるものではなかったです。けれど農家の方との会話、彼らの暮らし、眼差しなど直接見て、関わって知ったことが私の価値観に何か決定的な大事な影響を与えたことは事実でした。日本に帰ってから私はその「何か」がいったい何なのかわからなくて、言語化できないことにもどかしさを感じました。ただ、帰国後に2年間日本で野菜作りをしてみて、やっとその「何か」を、自分の経験を持って言葉にできるかもしれない、と思いました。なのでアウトプットのつもりで書いてみます。

日本帰国後の生活、価値観

2020年4月にメキシコから帰国してから、すぐに大学院に復学できたものの、授業はオンラインに切り替わり、人の移動も大幅に制限されていました。自宅待機が推奨され、街も電車もガランとしていました。

私の場合、メキシコ留学時は毎日毎日外に出て、新しい人と知り合うスピーディーで非日常な生活を送っていたので、コロナ禍の日本に帰ってから、同じような感覚で活動を続けられないことに息苦しさを覚えました。メキシコでの記憶も引きずり、日本のコロナ前の生活の記憶も引きずり、重い感覚で日々を過ごしていました。なんとかそれを変えたくて、「メキシコでの活き活きとした生活感覚のまま、日本でできることは何か?私のしたいことは何か?」と考えたとき、思いついたのは野菜作りでした。

なぜ野菜作りを始めたか?

それはなぜか。メキシコのいろんな都市や農村を訪ねて、いろんな所得層の人、いろんな民族の人、いろんな職業の人を観察してみて、食や農に直接携わっている人の言葉や眼差し、振る舞いに嘘がないと感じたからです。彼らの、土で爪の中まで汚した、労働する手がかっこいいと思った。彼らの、誇りを持った眼差しに美しさを感じた。作物に対する心からの愛情、尊敬の念に温かさを感じた。次世代のことも考えて農作業に取り組む姿がかっこいいと思った。
必ずしも皆が皆「農薬を使わないで」とか「自然や地域のことを考えて」とか思いながら農業をしていたわけではないけれど、食に向き合う人は、社会の根っこの現実に向き合っていると思いました。

島根に住んでいる私の祖父も、定年退職後、20年以上趣味で野菜を作っていますが、今でも20~30kgの肥料を抱えて山の上まで登っていくほど健康で、足腰も強いです。そして、毎年遊びに行くと目がキラキラと輝いていて、「こういう風に生きたいな」と思わせる何かがあります。

そのように感じるのはきっと、左脳で論理的に分析できるものではなくて、右脳で、直感や心で感じたものなのだと思います。アートを見たときの美的感覚やスピリチュアルな感覚に近いかもしれない。だから簡単に言語化できないのです。

ではその感動した農業者の持っている素敵な「何か」を自分で体得したらどうなるのか、試してみよう、と思ったわけです。でも私はそれまで、植物を最後まで育てられた経験がありませんでした。いきなり農業に携わるのはハードルが高いと思ったから、まずは「植物を育てられる人になろう」と決めました。

野菜作り開始

自宅に庭があるのはありがたいことでした。まずは、6畳ほどの庭で野菜作りをしようと思い、父に頼んで、ホームセンターでトマトやキュウリ、ナス、ピーマン、パクチーの苗を買いました。自宅の庭に土も足りないと思ったから、「野菜と花の土」も購入しました。それらを、花壇やプランターに植えてみました。

すると、土と日当たりが良かったのか、水をあげるだけで、2,3週間何もしなくても植物はすくすくと育ってくれました。

↑パクチー
↑ネギ、キュウリ


↑左からピーマン、トマト2本、ナス。奥はゴーヤ。
↑2,3週間後のピーマン、トマト、ナス、ゴーヤ

上の写真のとおり、2,3週間でピーマン、ミニトマト、ゴーヤたちはすくすくと伸びましたが、初心者で脇芽とりや支柱たてのことを知らなかったので、野菜が伸び放題、無秩序になっています。

一番奥のナスに至っては、日当たりが悪いところに植えてしまったので、だんだんと枯れてしまいました。

ミニトマトも脇芽とりをしなかったので栄養が実に行きわたらず、収穫量がそれほど多くなかったように思います。

というわけで、家庭菜園初めての年は、ジャングルのように伸びてしまったミニトマトを、早めの段階で泣く泣く切るしかなくなってしまいました。切り方もわからなくて、無造作に切って、せっかくなるはずの実もダメにしてしまったかもしれません。。

毎日毎日、丁寧に水やりができなかったこと、野菜の面倒を見てあげられなかったこと、野菜を秩序だって育てられないことで自分が嫌になることもありましたが、それ以上に「野菜は自分で育ってくれるんだ」と気づけたのも感動的なことでした。野菜が日々成長して変化がみられること、収穫できた時の感動が味わえること、それを食卓で共有できることもうれしいことでした。

ただ、うまく育てられなかった失敗を踏まえ、来年はもう少しちゃんと調べるぞ、日当たりの悪いところに野菜は植えないぞ、トマトに支柱をたてるぞ、など、体感として気づいたことがたくさんありました。自分で育て方を調べるには限界がある、とも思いました。

そうして、2020年8月、近所の市民菜園で野菜作りを開始することを決意しました。それについては次回詳しく述べます。


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