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人間だから、できること。

鬼ヶ島から来た鬼は、時々村へやって来て悪いことをするので人々は困っていました。
桃太郎は犬・猿・キジを連れて鬼退治しました。鬼がいなくなって人々は幸せに暮らしました。

童話『桃太郎』一部抜粋

『桃太郎』って
何を伝えたかったのでしょうね。

なんて、こんな大人になってから
わざわざする話ではないんですけど
〝ここ〟は私の部屋なので
書いてみます。

「子どもに語り継ぎたい童話・昔話の
男女総合ランキング」なる資料を元に
保護者達のアンケート回答が書かれている記事を
先日見かけました。

それによると、総合1位は『桃太郎』で
・一人では困難なことでも、仲間と一緒に立ち向かうことで目的を達成できるということを物語から伝えられるから(5歳女児の母親)
・桃太郎のように強くたくましい子に育ってほしい(2歳男児の母親)
などと、ありました。

まぁ、人間としては
そのような見解が大多数ですよね。

では、鬼から見たらどうなのでしょう。

こちらは日本新聞協会広告委員会が
「しあわせ」をテーマに実施した
『新聞広告クリエーティブコンテスト』の
最優秀賞として選ばれた作品。

博報堂『The Central Dot magazine』より

ボクのおとうさんは、
桃太郎というやつに殺されました。

そうですよね。
鬼に子どもがいないなんて決めつけられません。

もしも『鬼太郎』という童話があったら
どんな話になるのだろうかと
noteという場で言葉を使う人達ならば
想像できると思います。

人と鬼
どちらかが一方的に悪いのか
もう少し違った見方は出来ないのか
相容れないならば関わらない方法は探れないのか

『人間は考える葦である』

パスカル随想録「パンセ」

人間というのは
弱い面をたくさん持っているが
「考える」という働きがあるから偉大である
というような一節です。

たとえば
自分の意に反しているから攻撃対象なんだと
安直に決めつけるのではなく
そもそも自分と他の人は違う生き物であって
自分の価値観が正しいとは言いきれないのだと
理解したいものです。

そもそも
〝正しい〟と〝間違え〟のふたつしか無いと
思い込むクセがあるのなら
その点を見直す必要はあるかと感じます。

自分が発した言葉は
自分が1番よく聞いています。

厳しくて冷たい言葉も
やわらかくてあたたかい言葉も

心というかたちの無いものや
体という物質の中で反響しています。



人間だもの。どうか考え続けましょ?

私も私なりに考えて行きたいし
考えて生きたいと思っています。

この思考を押しつけるつもりはありません。

でも、社会で生きていく上で
〝考える〟ということは
責任であり
自由であり
思い遣りであり
とても大切なことだと私は感じます。

『所変われば品変わる』とはよく言ったものですね

最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。



前記事のnote2周年記念日の記事へ
たくさんのコメントをありがとうございます。
とっても嬉しかったです!

ここ数日、ゆっくりnoteを開くことができず
コメント返信より先に記事を投稿してしまい
申し訳ないです(>_<)☆

どうしても、今この記事を投稿したかったので
優先させていただきました。

もう少しだけお待ちいただけたら
嬉しいです(*´ `*)

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2022年3月にスタートしたお試しマガジンです。 かろやかに生きるって何だろう…と、きっと思われるでしょう。 かくいう私も試行錯誤しなが…

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