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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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2021年8月の記事一覧

「死にてぇ」というのは当たり前の感情だと思っていた

「死にてぇ」と何度も思ったことがある。 別になにかに絶望したとか、ショックな事件が起きたとか、傷つけられたとかではない。 ただなんとなく過ぎる日々のなかで、ぼんやりと「死にてぇな」と思うのである。自分を殺そうと試みるわけでもないんだけど。 「口先だけ」と言われればそれまでだとは思うけど、「この先生きててなにかスペシャルに嬉しいことってあるのかしら」と考えると「いや、ねぇな」と思ってしまうのである。 たとえば、「人生でいちばん嬉しかったことは?」という質問に答えなければ

英語が絶望的な帰国子女に英語の仕事が来てしまった結果

「基本的には日本語でOKだけど、カタコトしか喋れない人もいるので英語も話せるインタビュアーが良い」 …というわけで全然英語の話せないわたしに白羽の矢が立ってしまった。 というのも、このにっくき「帰国子女」という肩書きのせいである。 公式プロフィールだと高校までのことは伏せて大学からの経歴しか載せていないが、自分のことを語るときにどうしても欠かせないので、たびたび「中高生はアメリカで過ごした」と発信している。 黒歴史は黒歴史でも、中高の4年間も過ごせばアイデンティティに

いらないモノを捨てれば、人生は好転するはず

「モノ多すぎじゃない…?」と何気なくこぼしたら「じゃあ片付けてよ」と母に言われてしまったことを皮切りに、実家にあるモノたちを断捨離することになった。 実を言うと以前から気にはなっていたのだが、実家なんてせいぜい1年に2回帰省する程度だったので、我慢していた。それが、1ヶ月も住んでいるとさすがに「もう無理!」な状態になってしまった。 こう見えて、わたしの心にはこんまりさんという妖精が住み着いているので、実は片付けはめちゃくちゃ得意なのである。ちなみにわたしは、部屋は散らかる

仕事は”ストレス”だから楽しいのだ

基本的にストレスを抱えるのは嫌いだ。 ストレスゼロで生きるのをモットーにしているし、誰よりも眠る時間とお風呂に浸かっている時間が長い自信がある。 「ストレス解消法」というのはこの世にごまんとあって、たとえばアロマを焚きましょう、自然豊かな場所に行きましょう、ストレッチをしましょう、という、いっときのストレスを解消してくれるものが多い。 …というのも、ストレスというのはつねに溜まり続けるものだから、どうしても解消しても「いっとき」で、また解き放ったそばから降り積もっていっ

「運転」という全然普遍的じゃない特殊スキルについて

「ペーパードライバーを卒業しなきゃ…」 そう思って東京を離れ、実家で過ごすこと1ヶ月。まだ一度も高速道路には乗っていないけど、前に比べると車の運転にも慣れてきた気がする。特にブレーキの踏みかた! 「運転のうまさはブレーキのやわらかさに現れる」と言っても過言じゃないと思う。 なんせ、わたしが踏むと、隣にいたお母さんが前にグンッとつんのめり、振り向いて真顔で「マジでやめて」と言われる。 自分としてはやさしく踏んだはずなのに、ちょっと踏むだけでグンッとなるから車は本当に難し

神格化されすぎると寂しい。ゆきちゃんはゆきちゃんだから。

ちょっとタイトルが訳わからんと思うのですがまぁ聞いてくださいよ。 わたしは中学2年生のときに渡米してしまったので、いわゆる「ジモティー」がいないんだけど、大人になってから再会したジモティーがひとりだけいるんです。しかも同業で。 渋谷のイベントでたまたま会って、度肝を抜かれました。だってわたし、小学生のころ彼と近所で鬼ごっこしたりしてたんだから。それがライターをやってるって言うんだから、どんな運命の巡り合わせなのかしら、って。 都会ならまだしも、うちの地元は神奈川の田舎の

「ありのままでいいんだよ」と言われた自分を許せないから

ぎゅうぎゅう詰めだった満員電車から、ポツリポツリと人の影が消えていって、ついにはわたしとおじいさんだけになった。 …とはいっても、ここは神奈川のすみっこで、都心から電車とバスを乗り継いで1時間半ほど。すぐに帰れる距離ではある。 実際、社会人3年目まではここから毎日通っていた。朝は始発に乗り、夜は終電を追いかけて。 8月いっぱいを実家で過ごすことになった。理由はみっつある。 ひとつは、車を運転できるようになるため。 筋金入りのペーパードライバーことわたしは、先日八ヶ岳

時代は本当にあっという間に変わるから、今。

すんごい器のちっちゃいことを言わせていただくと、かつて私は自分の半径5メートルのなかにいる人よりも、ちょっと前を歩いているような気がしてた。 発信をはじめた当時は、身のまわりの人で顔出し発信をしている人もいなかったし、会社以外に新たな社会人コミュニティに入っている人もいなかった。 ましてや副業をしていたり、フリーランスをしている人もいなかった。少なくともわたしのまわりではね。 だから、同世代のなかではちょっとだけ先を進めているような、そんな錯覚に陥っていた。 それが、