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もう、誰にも搾取されないために

やさしい人ほど損をする、というnoteを書いたことがある。

でも、本当はあれは自分に向けて書いた。

こんなことを言いたくないけれど、私は搾取されながら生きてきた。

頼まれごとをされたら断れない。

しかも、愛想も良いから嫌がっていることすらうまく隠してしまい、結果的に相手に何も伝わらない。

たぶん、楽しんでいるとすら思われているんだと思う。

いつも、なにも言えなかった。

先に何かを言われてしまえば、おとなしく、それを飲み込んで従った。

変な話、心から嫌がっているわけじゃない。でも、心から喜んでいるわけでもない。

でも、私が我慢することで、相手が喜んでくれるのなら、それでいいと思っていた。

モヤモヤはいつしか溜まりに溜まり、心を圧迫していった。

言いたいなぁ、言えないなぁ、その繰り返しで、いつも1人で涙を流した。

反論すれば、きっと一人ぼっちになってしまうとか、自分で勝手に決めつけて、飲み込むことしかできなかった。

でも、悲しいことに、わたしが反論しようがしまいが、大して世界は変わらなかったのだ。

別に1つ、約束を破ったところで友だちはいなくならない。

逆に1つ、約束を守ったところで友だちはわたしを好きにならない。

その程度のことなのだった。

搾取されている、と思っているのはわたしだけだったのだ。

なんとなく、いつも損な役回りだなぁとか、無駄に優しさを取られてるなぁと不満に思っている人は、考えて欲しい。

それは、自分だけが思っていることなんじゃないか。

勝手に断れなくて、勝手に利用されて、勝手に被害者になっているだけなんじゃないか。

幸い、私たちの口は「いやだ」と意思表明することができる。

いやだ、とはっきり言ったときに、離れてしまうような人を、あなたは必要としているのか。

やさしさとは、いつか返ってくると期待するものではなく、一方的に与えるものである。

だったら、被害者みたいに思えてしまうのなら、無駄なやさしさなんて、振りまく必要ない。

自分の本当に、大切な人にだけ与えてほしい。

そうしたら、搾取されている、なんて変な思いも湧いてこないはずだから。

与える相手は、自分で選んでいくのだ。

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