何者かになるために必要なのはスキルじゃない
朝井リョウさんの小説じゃないけれど、みんな何者かになりたがる。
肩書きがあったほうがわかりやすいし、仕事も頼まれやすいだろう。
でも、そのなかでも何者でもない人も何者かではあるのだということをわたしは言いたい。
この前、初対面のひとが、「ゆぴさんがやっていることについて、全員が違う答えを言うんです」と言っていた。
ある人はライターと、ある人はブロガーと、ある人はグラフィッカーと。
そしてわたしは、どれでもいいんじゃないかなぁと思う。
わたしはわたしのやりたいことをやりたいままにやっているし、根底にある思いは「永遠に17歳でいられるような優しい世界を作りたい」という私利私欲にまみれた思いなので、わたしが腕を動かして作ったもので、誰かが喜んでくれたらそれで十分だと思っている。
だから、わたしは何者かといえば、17歳なのである。
何者かになるためには、スキルが必要であるような気がしてくる。
でも、本当はスキルじゃなくて、“思い”なのだ。
スキルはなくても、思いなら、誰もが内に秘めているのではないだろうか。
ゲームが死ぬほど好き、とか、ぼうっと妄想しているのが好き、とか、好きかはわからないけれど、気付けば毎日人に会っている、とか、逆に死んでも満員電車に乗りたくないとか。
何かへの愛情、何かへの憤り、何かへの悲しみ。
好きなものがひとつもなかったり、イライラしたことがなかったり、涙を流したことが一度もない、という人はさすがにいないんじゃないかと思う。
何者かになりたくてウンウン悩むけど、みんなもうすでに何者かになっているのかもしれないね。
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