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やりたいことと、やったほうがいいこと
今日、自己理解について勉強をしている友だちと話した。
自分の心の声に耳を傾けられる人は意外と少なくて、「やらなくちゃいけない」「こうしたほうが自分の得になる」と考えてしまう。
それは、安定のためでもあるし、将来のためでもある。
じゃあ、今やりたいことは?
これを頭じゃなくて心で感じることが大事なのだ。
でもわたしは、言語化するのが怖かった。
もともと自分のことを俯瞰してみる癖があるので、自分のためというよりは、総合的な最適解を考えていた。
内向的だけど、それじゃあうまくいかないことも知っているから、積極的になろう、とか
せっかく求められているのだから、苦手だけど期待に応えるためにやってみよう、とか。
成長するために本を読んでインプットをがんばろう、とか。
でも、じゃあ自分の心の声はなんといっているの?と考えると、実際はものすごく「ラクをしたい」と思っていることに気付くし、全然バリキャリでもストイックでもないことがわかる。
つまり、本当に素直に自分の心の声に耳を傾けてしまえば、きっとわたしはグダグダな人間であることを受け入れなければいけなくなるのだ。
部屋でのんびり本を読むとか、こんなふうに生産性のない文章を書いたり、グダグダしているのがしあわせだ!
仮にこれが自分の本音だったとしたら、それをわたしは許せない。
でも、そう思うのは、わたしの心じゃなくて「頭」だ。
「グダグダしているのが悪いことだと考えてるの?」
と聞かれて、悪いことだと思っている、と答えた。
だって、一生懸命がんばることは素晴らしい。グダグダしているのは、生産性がないじゃないか。
そうしたら、
「それは、グダグダしているのが悪い、という思い込みなんじゃない?」
と言われた。
これには、うまく返せなかった。
「仮に、グダグダしていいよ、と言われたら文章を書くのをやめてしまうの?」と言われた。
ちがう。きっと、いつまでもグダグダしていいよ、と言われたら、わたしはグダグダしながらも必ず文章を書くし、歌をうたうし、写真を撮ると思う。
「じゃあ、グダグダしながら生み出したもので食べていけたら、すべて解決するのかもしれないね」
心の声が聞こえてしまった。
わたしは、グダグダしながらコンテンツを作りたいのかもしれない。
そして、実際に今やっていることは、自然とそちらに向かっていってる。
その実現のために今やっていることは、グダグダへの「過程」なんだと思う。ウケる。
以前モノマネ芸人のホリさんに取材したときに「将来ラクするために今苦労する」と言っていたが完全にそれだった。
ラクをするとか、グダグダするとか、特に根拠はないけど、なんとなく「怠惰」だと決めつけて嫌悪していた。
でも、それは思い込みなのかもしれない。グダグダしてもいいのかもしれない。
そうして、
「グダグダしながら文章を書いたり歌ったり写真を撮ったりしたい」
という、今まで口に出したらダメ人間と叩かれそうだと、しまい込んでストイックさで隠していた自分の本音と対峙して、なんだか笑ってしまった。
めっちゃ人間だった。
そうやって、今はやったほうがいいことと向き合っても、やりたいことの割合を増やしていって、いつかやりたいことが、やったほうがいいことになればいいな、と思う。
そのために、今はちょっとグダグダもしながらも、ちゃんと積み重ねようと思った。
グダグダしながら、生きてもいっか。
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