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三度の飯より好きですか?

「この仕事は、三度の飯より好きじゃなきゃやってられないよ」

ピシャリと言われて、わたしの脳裏にはさまざまな思いがよぎった。

「三度の飯より好きなもの」ってどのくらいあるだろう。

絵を描き始めたら8時間ぶっ通しで描き続けるようなわたしは、それを「好き」な基準にするのがとても怖いと思った。

なぜなら、大抵のものが三度の飯より好きだと思えてしまえたからだ。

要するに、「三度の飯」が自分にとってはたいして特別なものではなかった。昼食を食べ損ねるなんて日常茶飯事のことだし。

でも、その言葉が先生の口から放たれた瞬間、何かがものすごく揺らいだ音がした。

それはたぶん、わたしの決意だ。

果たして、わたしは三度の飯よりも好きなことがやれているんだろうか。

徹夜をしても、「好きなことがやれているからハッピー!」と喜んで目の下を窪ませて現場に向かえるのだろうか。

わからない。

好きなことをしているあいだは楽しくもあり、苦行でもあると感じる。

「好きなこと」で勝負をするというのはそういうことだ。

自分のなかで絶対的に自信のあるものが次々に覆され、「得意」の認識に埋もれた穴をチクチクと自ら刺されにいくこと。

「普通の人よりはできる」じゃ済まされない世界のなかに彷徨うこと。

それは、「好き」の気持ちだけでは耐えがたい辛さがある。

刺されすぎてうっかり「好き」を手放しそうになるし、何なら嫌いになりかけたりもする。極めるというのはそういうことで、どんなにこちらが好きだと叫んでも真っ向に拒絶されることも多々ある。

そのうえで、「三度の飯より好きですか?」なんていわれたら混乱してしまう。

ひとつの指標なのはわかっているけれど、「好き」ってどのくらいなんだろうと考えてしまう言葉だった。

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