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コケが動く事件

幼稚園バスの乗り場まで、母と一緒に歩いていた。

いつもの道だった。

いつもの朝だった。

でも、その日、事件は起きた。


当時4歳だった私はその日、道の端にふと目をやると、深緑の物体が、ポツポツと存在していることに気づいた。

それの存在も名前も知っていた。
でも私はそのとき、それを初めて、私なりのチャンネルで「認識」してしまったのだと思う。

途端に、とある妄想が凄まじいスピードで脳内に広がってしまった。

動く。


あいつが、ここまでやってくる。


脳内のそれは、まさしくこの妄想が繰り広げられるのと同じくらいの猛スピードで地面を移動して、私のところまで這い上がってくる。

現実のそれは、ピクリとも動かないが、きっと時間の問題だ。

怖い。

今すぐ、逃げねばならない。


光の速さで母に助けを求めた。


「お母さん!!!!!!!!!!!コケが動く!!!!!!!!!!!!!!!!」



その時、私は母と2人きりで歩いていたのではなかった。

母は、まだ赤ちゃんだった弟が乗ったベビーカーを押しながら歩いていたのだ。


母にすがって一歩も動こうとしない私を、何としてでも幼稚園バスの乗り場まで連れて行かなければ、バスの時間が来てしまう。

しかし、力持ちというわけでもない母は、ベビーカーを押しながら片腕で私を抱えるなどということはできない。

ケータイもない時代、幼稚園の先生に連絡することも、父や祖父母に助けを求める連絡をすることもできない。

なにせ、昨日まで普通に歩いていた道なのだ。

突如勃発したこの異例の事態、なんと、母も私も、ここまでしか記憶がない。


おそらく、目を塞いで走り去る手伝いをするか何かしてその場をくり抜けたのだろう。

事件勃発までの過程と、結局幼稚園側には迷惑をかけなかった、という結果の記憶しかないのだ。


コケが動く、という異常な妄想はその後、よく遊びに行っていた公園にある、動物の形をした置物にまで派生した。

「あの公園は、馬が動くからもう行かない」

そう言って本当に行かなかったらしい。
というか、そう言っていた記憶がちゃんと自分にもある。

本当に動いた所を見たわけではもちろんない。
でも、記憶の糸を手繰り寄せると、突然置物の馬が暴れ始めて、乗っていた子どもを振り落とすような恐ろしい妄想が脳内に広がってしまって、その可能性が少しでもあるなら怖いから行きたくない、と思っていたのだ。


たぶん、「可能性」を異常に考慮に入れる癖は、昔から抜けていない。


その「可能性」の発想が、結構人と違っているようで、それが心配の方に転べば「心配症」、ぶっ飛んだ空想に向けば「変」「天然さん」などと言われることもあり、正直いい気はしないので、家庭以外では口にしなくなった。


それでも、今考えれば「コケが動く」はひどいな、と我ながら思うところだ。
発想力をいい方に活かしたいと思いつつ、無駄に色々な想像が湧いてくる日々である。

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