今回は、田の神について考えていきたいと思います。
田の神の、「田」という漢字のつくりにヒントがあるのではないか、と考えました。
そこで発見したのが、ケルトに由来する「ブリギッドの十字架」と呼ばれるものです。
そしてこの十字の形の中央にある、ひし形が重要なのではないかと感じました。
ひし形という言葉とは、「回転するもの」を意味する古代ギリシャ語に由来するそうです。
さらに「クインカンクス」というものに、ヒントが隠されているのではないかと感じました。
クインカンクスというのは、十字に配置された五つの点で構成される幾何学模様のことのようです。
サイコロの5の目は、5つの点で表されます。それを取り囲んでいる正方形を回転させると、その正方形はひし形にもなります。
この5つの点を線で繋ぐと、ひし形の時には十字を描くことができます。正方形になる時に、5つの点を星形で繋ごうとすると、頂点の部分をはみ出して描くことで一筆書きで五芒星を描くこともできます。
ひし形とは、古代ギリシャ語で「回転するもの」を意味するということですので、ひし形と回転とクインカンクスという五つの点という組み合わせにより、十字架と五芒星を描くことができました。
このように「田」という漢字から、五芒星とバフォメットが、立ち現れてきました。
五芒星を回転させることで、逆五芒星となり悪の象徴となるため、「回転」が重要となる訳です。
ここで再度、ブリギットの十字架について見てみます。
ケルトのインボルクという祭りは、農耕と春の始まりに関連した祝日であるとのことで、日本の田植えに関する祭りと繋がります。
このインボルクに関連するケルトのシンボルである「ひし形」に、キリスト教宣教師が十字架の形を想起させるために腕を追加し、これらのシンボルをキリスト教の意味で流用し、ブリギットという聖人に帰した可能性があるということです。
ブリギットの十字架とは、藁(わら)やイグサで作られ、垂木や建物の入り口に吊るすことで、一年の残りの期間の聖人の祝福と保護を呼び起こしたということです。これは、日本の正月飾りとして玄関先に飾られる「しめ飾り」と起源を一つとする物なのではないか、と感じました。
さらにこのブリギットの十字架は、毎年取り外されて交換されるか、祝祭の合間に積み上げられ、廃棄される場合は燃やすか埋められたとのことです。これも、日本の「とんど焼き」や「左義長(さぎちょう)」と呼ばれる火祭りと同一起源なのではないでしょうか。
そして田んぼには、案山子(かかし)が立てられています。かかしの真の意味とは何でしょうか。
田の神には、オナリと呼ばれる女性の犠牲がささげられていたようです。
オナリと聞いて思い起こされるのが、稲荷神です。お稲荷(おいなり)さんとも呼ばれているからです。
オナリとお稲荷さんとは、ほぼ同じ発音であり、稲荷神が田の神とも結び付けらていることから、人身御供となった「オナリ」とお稲荷さんとは、語源が同じである可能性も考えられます。
現代の案山子(かかし)が、人間の生贄の名残りであるとすると、その人身御供の手段として考えられるのが串刺しです。
長野県にある諏訪大社の上社の御頭祭では動物の生贄が捧げられており、ウサギ等も串刺しにして供えられていたようです。
田の神の祭場とは、狐塚であったのではないかということです。
これらのことから、田の神に関してキツネを神として祀った塚とは、生贄として捧げられた女性、オナリを祀った塚なのではないかという考えが浮かんできました。
串刺しという残酷な犠牲の一つの方法として、以下の内容があります。
串刺しの犠牲者は、『生殖器と直腸の間にある会陰部に切り口を開けられ、そこに先端を丸くした棒を挿入される』というのです。
会陰部を開くと聞いて想起されるのが、ケルトのシーラ・ナ・ギグです。日本神話に登場するアメノウズメとシーラ・ナ・ギグの繋がりについては、前回の記事で書きました。
そして稲荷神社には、アメノウズメが祀られていることも分かっています。
現代に残る、案山子(かかし)やシーラ・ナ・ギグとは、オナリという田の神に捧げられた女性の表象なのではないか、とも考えられます。
また串刺しと磔(はりつけ)とは、表現の違いの範疇であり同じ物を示している場合もあるようです。
次に挙げる磔(はりつけ)の方法の中に、「田」という漢字の成り立ちに関わるものではないか、と思われる記述がありました。
磔柱の形状は、女性用が「十」の字であったというのです。
田という漢字の中の十字の形、これは田の神に捧げられる「オナリ」の磔柱の形状を表しているのではないでしょうか。
それではこの田の神とは、どのような神なのでしょうか。
古代エジプトのオシリスの神話を見てみます。
オシリスの棺は、海を渡ってフェニキアのビブロスのイチジクの木の根元に流れ着いた、ということです。
稲荷神のキツネとは、この木の根(きのね)のことなのではないか、と感じました。
天つ神、国つ神などで使われている「つ」とは、「の」という格助詞であるかと思います。
そのため、古代日本語で「木の根(きのね)」とは、「きつね(キツネ)」と表現されていた、と考えられるのです。
キツネそのものを、田の神とする信仰もあるようです。このことによって、田の神信仰とはオシリス信仰である可能性がでてきました。
以前の記事で、オシリス神とは国常立尊であること、前回の記事では伏見稲荷大社の主祭神とは国常立尊なのではないか、と考察しました。
これらのことによって、田の神の正体とは国常立尊なのではないか、という結論が導き出されました。
毎回記事を書く時には、今回はこれついて調べてみよう、という考えが浮かんでくることにより、答えが分からないまま書き始めます。
そして一つ一つ調べを進めていくことで、驚くべき新たな発見があり、今までどんなに考えても解けなかった謎や疑問がどんどん解けてゆく、という体験をしています。
サタンは私たち人間が何もかも分からなくなるようにし、神様は私たち人間が何もかも分かるように導かれる。だから、分からないことは全て分かるまで研究し、祈り求める者となりなさい。
非真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問も解決できず、真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かる喜びに満たされて生きられる。
サタンは人々から考える力を奪い取り、主は人々に考える楽しみをお与えになる。
「考える楽しみ」とは、お金もほとんど必要ありませんし、永遠に尽きることがないものだと思います。
このような最高に次元の高い楽しみを与えてくださった神様とRAPTさんに、心から感謝をささげます。
RAPTさんのたゆまぬ御尽力によって、この世のものとは全く次元が違う、何度聞いても何度読んでも新たな悟りと叡智を得られる、全く飽きることがない、人類史上最高次元の完全なる真理と、真のキリスト教の神様による、未だかつて誰も聞いたことがない全く新しい成約時代の御言葉が、今この時代を生きる私たちに与えられました。
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