見出し画像

怪談「ねことおおやと祭りの夜」

「もうそんな大きぃなったかぁ、坊主、すごいのう、おじちゃんびっくりや」
 大家さんは、我が家に来るたびに僕の年齢を尋ね、大げさにそう言って驚いてみせたものだった。

 大きい家と書いて、大家さん。だからだろうか、幼い頃の僕にとって大家さんはものすごく大きな存在だった。滅多に会うわけでもないのに、彼が現れると、家の空気が全体、彼の流儀に従わなければならないような、何とも言えない圧迫感で満たされたものだった。

「流儀」と言ったって、大した流儀があるわけではない。大家さんの獲ってきたウサギやイノシシを、大家さんがその場で捌き、それに合わせて母や父が米やみそ汁の支度をする。要するに、唐突に夕飯のメインディッシュが決まる。ただそれだけのことなのだ。

 ただそれだけの、しかしあまりにも嵐のように唐突にやってくるイベントを、僕は複雑な気持ちでいつも見守っていた。
 
 この国では、なぜか借家の借主は貸主に対して肩身の狭い思いをするものらしい。TSUTAYAに対して肩身の狭い思いをする客がいないのに、家主に対しては肩身の狭い思いをするというのも理不尽な気がするが、親の対応を観ているとまあそういうもんなのだろう、と諦観にも似た納得があった。

 我が家に大家さんがやってきて、一歳の妹を抱きあげる時、僕の心は、なぜかきまって破裂寸前のタイヤのようになるのだった。

「この子はまたえらいべっぴんさんになるでぇ! ご両親に似て」そう大家さんが言うとき、僕は何となく、大家さんは本当は母に似て、と言いたいのではないのかな、と考える。そして、弱弱しい父の笑顔に、何だか足元の大地がぐずぐずと砂に変わっていくような感覚を味わう。

 それがなぜなのか、当時の僕にはまるでわからなかった。嫌だとか、不安だとか、そういうのとも違う。僕は大家さんの笑顔に安心感すら抱いている。

 それなのに、押しつぶされそうなほど、こわい。

 なぜそんな風になるのか、六歳を迎える直前のお盆の日まで、深く考えもしなかった。当たり前だ。その年ごろの子にとって、自分のなかに巻き起こる感情が何に起因するのか、またそれは何故起こるのか、などを掘り起こして考えるなんてことはまずもって不可能なのだから。
  
 それでも、僕はあの夏の出来事を、自戒の念を込めて何度も思い返すのだ。僕が、自分の感情の根源を、もっと早く見つめていれば、と。

 それは8月のお盆祭りの夜だった。僕たち家族はこぞって出かけ、お囃子の音色と共にやってくるきらびやかな神輿を見ていた。妹は初めてみる祭りに興奮してだーだだーと言葉にならぬ喃語を発していた。

 その神輿の隣を、なぜか二輪の手押し車が並走していた。汗だくでそれを運転しているのは、老齢の男性。よく見ると、大家さんだった。その手押し車には三名ほどの幼児が乗っていた。

 大家さんはすぐに我々に気付き、手を振ってきた。それから我々のもとにやってくると、手押し車の持ち手を前傾させて固定した。大家さんは、父が手をつなぎよちよち歩きさせていた妹を、半ば強引に奪って抱き上げた。

「また一段とべっぴんさんになったのう! どんどんきれいになるで!」

 妹はわけもわからず、きゃはきゃはと笑っていた。父母も喜んでいた。少なくとも、喜んでいるような笑顔を作っていた。僕は、どうにか笑顔を作ったつもりだったけれど、うまくいったのかどうかはまったくわからなかった。

「ん? これ乗りたいんか? ほうか、ちいと乗ってみるか?」
 
 たしかに妹は、手押し車を指さしてはいた。父母は「いいんですか?」などと言った。大家さんは「かまわんかまわん」と笑って答えて妹を手押し車に載せた。

「どれ、ほな、一周してこようかいのぅ」

 大家さんはそう言って軽々と妹を手押し車の荷台に載せると、ほな、と父母に笑いかけてからゆっくりと動き出した。父母は笑顔でそれを見送った。だが、僕は笑顔で見送ることはできなかった。

 どこへ連れていくのか。一周と言ったけれど、一周の終わりはここなのか、どこなのか。果たして我々は同じこの場所で待っていなくてよいのか、など何も決まっていなかったのだ。

 それなのに、父母は大家さんに妹を預けたことで安心したのか、夜店のほうに向けて歩き始めた。実際、妹の世話があって屋台に並ぶことすらままならなかったのが、つかの間ラクにはなったのだ。

 だけど、僕はずっと大家さんの後ろ姿を目で追っていた。何より恐ろしかったのは、大家さんが途中から走り出したことだった。手押し車をしっかりと担いで、彼は老齢とは信じがたいほどの速度で走り出したのだ。

 乗っている幼子たちは、みな嬉しそうに笑っていた。妹は僕に気付いて笑いかけてきた。まだ手を振るということさえ明確にはできない妹が、それでも手を振るのに似たようなそぶりを見せた。

「大家さんが、遠くへ行ってまう」
 僕は焦って母にそう言った。けれど、母は僕の頭を優しくなでるだけだった。父が言った。
「大丈夫や、大家さんは一周したら戻ってくる」

 だけど、だけど、と僕は何度も言いかけた。あんなとてつもない速度で手押し車を、人込みをかき分けながら進むのが普通ではないことは、誰の目にも明らかなはずなのに、祭りの興奮のせいで誰もそれを異常なことだと認識していなかった。

 あっという間に大家さんと手押し車は遠くへ行ってしまった。僕は父母と夜店を回る間も気が気ではなかった。大家さんの言う一周がどこを終着点としているのか。それがいつなのか。それをずっと考えていた。
 
 三十分ほど経ったときだろうか。不意に、父母の表情が曇った。どちらともなく、大家さんが遅いことを話題にしはじめた。僕の脳裏にはくっきりと、人込みの中を全速力で駆ける大家さんの姿が焼き付いていた。そこに載せられた数名の幼子は、いずれも借主の子なのだろうか、とかそんなことも浮かんだ。

 一時間が経った頃には、すっかり父母もこれが異常事態なのだということを理解し、不安に張り裂けそうな表情に変わっていた。だが、それは一時間前の僕の表情であり、そこに同化することはどうしてもできなかった。

 しばらくして、狛犬の足元にからっぽの手押し車があるのが見つかった。そして、その隣で泥酔して眠っている大家さんの姿が。両親が駆けつけて大家さんを起こし、娘はどうしたのですか、と尋ねた。だが、大家さんは「何の話や? 家賃やったらいつでもかまわんで」と言った。

 父母は、重ねて娘はどこですか、と尋ねた。だが、酔っぱらった大家さんは相変わらず「お宅の娘さんのことをなんで俺に尋ねるんかいな」と笑っていた。そこらじゅうに父母と似た青ざめた表情の大人がいて、恐らくそれは手押し車に乗っている幼子たちの両親だろうと思われた。

 結局、四方を探しても、その晩、子どもたちが見つかることはなかったし、大家さんの酔いはまったく醒めることがなかった。親たちは、いずれも借主であり、その場で大家さんを強く責めることができず、父親たちはただ頭を抱え、母親たちは発狂せんばかりの勢いで泣きじゃくった。

 お囃子の音は続き、祭りの喧騒はいっそう激しくなった。誰も狛犬の前でくずおれるごく一部の大人たちの惨めな姿など見向きもしていなかった。

 警察に連絡し、事態が事件として認定されるのには、そこから半日が要された。だが、それでも実際に捜査が本格化するには、大家さんが酔いから完全に醒めるのを待つしかなかった。

 大家さんの酔いは、翌日の昼過ぎにようやく醒めた。だが、もちろん彼は何一つ記憶になかった。ただ「ほんまにそんなこと俺がしたんかいな」と半笑いで言うばかりだった。

 奇妙なことが一つ。狛犬の下にあったはずの手押し車が、騒動のさなかに跡形もなく消えてしまったのだ。

 祭りに参加した人々も、大家さんが手押し車に子どもたちを載せている姿は見ていた。だが、彼がどこかで子を下ろす姿を見た者はいなかった。まるで彼が神社の中をぐるりと一周するさなかに、子どもたちだけが忽然と消えてしまったかのようだった。

 そして、しまいにはその手押し車までなくなった。

 大人たちはそれを「神隠し」と呼んだ。ある人は手押し車が「ねこ」と呼ばれることを受けて、「猫又の仕業だろう」などと言ったりした。猫又が、酔った大家さんの体を使役して、子どもたちをさらったのだ、と。

 だけど、僕にはしっくりこなかった。あれは、そういうのではない、と本能でわかっていた。かと言って誘拐や殺人の類でもない。あの出来事から歳月が経つほど、僕には、あの一件の本質が透けて見えるような気がしていた。

 あれは、大家さんと借主の親たちの、何とも言えない微妙な主従関係の間に入り込んだ「魔」が生んだ悲劇にちがいないのだ。

 魔が差すという言葉がある。まさにあの時、いびつでありながら、表面的には平和なように取り繕われた借主と貸主の縁の隙間に、奇妙な形で魔が入り込んだのだ。

 そして、そのいびつな構造の罅割れの隙間に、妹たちは吸い込まれてしまったのだ。どこからともなく「ねこ」が生まれたとしたら、生んだのはそうした構造の隙間だろう。

 そろそろ、あの出来事から十年が経つ。親たちはそれぞれの子どもの帰還を神社に祈り続けている。大家さんは神妙なような傍迷惑なような顔で、半ば被害者だとでも言いたい雰囲気で、それでも毎日神社に参拝している。

 だけど、それで何かが戻ってくることはない。父母は今でも、当たり前のように大家さんに毎月家賃を払い、同じ家に住んで妹の帰りを待っている。

 また、八月がやってきた。今度の八月は、例年よりかなり暑そうだ。妹がいたら、きっとあせもができているだろう。十一歳の妹は、僕にどんなことを話すのだろうか。まだ祭りに一緒に行ってくれるだろうか。

 目を閉じると、あの日、手押し車を押しながら全速力で駆ける大家さんの後ろ姿と、何も知らずに荷台で笑っている妹の顔が浮かんでくる。そして、何より、押しつぶされそうな感情を持て余しながら、何も動けずにいる自分自身のふがいなさが。


─────────────────


最後までお読みいただきありがとうございます。
ご感想/いいね/フォローなどいただけたら幸いです。
↑こういうことを付け加えることを覚えました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?