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百合掌篇「グロテスクの二人」


 
「あんたここがどういう職場だかわかってるんでしょうね?」
 腕組みをしながら金髪の長身の女性が尋ねた。尋ねたというより、脅されている雰囲気だ。私は天井で稼働中の換気扇のプロペラを見上げながら、物怖じせずに答えた。

「東京都グロテス区の区役所八階。グロテスクとアラベスクを分類して整理します」
「分類までは合ってる。でも整理するのはグロテスクだけ。アラベスクを見つけたら容赦なく廃棄。項目ごと削除。さあ、わかったら、さっさと仕事始めな!」

 シュウコ先輩は自分のデスクに戻った。二つのデスクのそれぞれには、デスクの向こう側の景色が見えないほどの書類の山がある。そもそも八階なのに窓がない。グロテスクなもので満ちたこの区では、窓の外の景色を見る意味はないのだ。

 美しい景色には、正反対の感情を抱かせるものが付随している。美しい花には歪な模様のアオムシが這っていたり、優美な建築には全体に罅が入っていていかにも崩れそうであったりする。

 街中には至るところに区のシンボルであるガーゴイルの置物が配置されている。初めて作られたAIもガーゴイルの〈ガーゴくん〉だった。彼らは廃棄対象のアラベスクを粉砕することを目下の任務としている。

 この〈分類課〉の職員はシュウコ先輩と私だけ。〈分類課〉はきわめて過酷な職務で、「あんたでn人目」とシュウコ先輩は楽し気に言う。どうせまた辞めると思っているのだろう。

 シュウコ先輩は元囚人だ。恋人に好きな人ができたのがショックで、ナイフで十か所以上刺して殺した後、死体と自分の腕を安全ピンで繋ぎ止め、現行犯逮捕された。

 このエピソードを気に入った区の職員が、ぜひとも〈分類課〉にほしい人材だと根回しをして、終身刑だったのを懲役十年、執行猶予八年に圧縮し、ついに採用となったのが一年前。そこから部下がn人辞めている。上司に向いてないのか。単に仕事が過酷なせいか。

 三日前、何も知らずに私は求人情報をみて区役所にやってきた。面接をしたのは人事課の課長さんで、私をひと目見て「表情に乏しいからできそうだね」と言った。
「この職場は精神をやられるからね。心とかない人のほうがいいんだよね」

 この課には私とシュウコ先輩しかいない。シュウコ先輩は優秀な人材だ。
「それはそっちの箱、それはこっち、それは廃棄。これくらい自分で判断しなよね」

 威張っているシュウコ先輩だけれど、彼女のほうが歳が若い。人事課の課長さんによると、彼女は中学卒業後、暴走族に入り三年後ヘッドになったが、恋人の頼みでヘッドを引退し、ネイルサロンを開くことに。が、その仕事仲間の女が恋人と浮気をしていたので例の事件になったのだ。それが十九の時だから、刑務所暮らし二年プラス就労一年の二十二歳。

 対する私は大学院修士課程を修了しているので、二十四歳。頭でっかちな学歴の女は企業も採用しにくいのか、今回の求人募集に救われたわけだ。

 一日目の業務が終わりに、あんた暇かと問われた。
「暇……暇なんですかね。ちょっとよくわからないんですが」
「あたしと食事でもして帰る? 家で料理がしたいなら全然いいんだけどさ。べつにあんたと食事がしたいとかじゃないから、ただまあ簡単に辞めんなよって脅しも込めてどうかなって……全然べつにどーでもいーんだけどさ」

 行きますと言うと、じゃあ行こう、と言ってシュウコ先輩は颯爽と歩き始めた。夜のグロテス区は〈ガーゴくん〉たちがパトロールしているせいもあってディストピア感がすごい。

 私たちが入ったのは〈骨と肉その他の短篇〉という名のお店だった。多種多様な肉料理と骨髄スープに舌鼓を打っていたら、シュウコ先輩が私の指先を見つめて言った。

「あんたネイルとかやんないの? ネイルやんなよ、やったほうがいい」
 じゃじゃーん、と言ってシュウコ先輩はネイルの道具を取り出すと、料理そっちのけで爪を研ぎ、マニキュアを塗る。

 その刺激臭を嗅ぎながら、私はシュウコ先輩のしなやかな細い指を見ている。この指で暴走族のヘッドを張り、この指で恋人を殺したんだなぁ。

 作業に集中している時の彼女は本当に幸せそうに見える。職場で吠えまくっている人と同一人物とは思えない。けれど、じっと見ていたら、不意にシュウコ先輩が顔を上げた。

「なに? あんた今見てたでしょ、私の顔」
「……はい。見てました。きれいだな、と思って」
「ば、馬鹿なこと言ってないで爪を見なさいよ爪を! 人が爪をやってやってんのに!」

 シュウコ先輩は慌てたのかわずかに指先に汗をかいたようだった。頬が赤く染まっている。このグロテスクな世界にあって、シュウコ先輩が唯一、アラベスクなものに思われた。

「あんたの爪、塗りやすいね。それに、ネイルが似合うよ」
「シュウコ先輩がやりたいのなら、毎週やっていただいてもいいですよ?」
「何だよ、その上から目線。まあ……でも……ネイル剥がれたらすぐ言いな」 
 それから、シュウコ先輩は料理の残りを食べながら、小さな小さな声で呟いた。

「ああ繋ぎ止めてぇな」

 その言葉に、ぞくりとした。私は頬の赤くなったシュウコ先輩をスマホで撮って区が用意した〈告白メール〉に送信した。

 すぐにガーゴくんたちが現れてシュウコ先輩を殴打しはじめた。アラベスクなものはこの世界では生きられない。けれど、顔が変形して虫の息のシュウコ先輩はグロテスクで素敵だった。

 やがて身体をバラバラにされると、私は彼女の右腕をガーゴくんに気付かれぬよう拾い上げ、自分の左腕に安全ピンでつなぎ留めた。

 私の左腕で恥じらっているしなやかな細い指に語りかけた。

「いつまでも、一緒に仕事しましょうね、シュウコ先輩」

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