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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 75 本音 

ブハラ
2023.1008 Sun
 
正直に告白します。
ブハラの街歩きに飽きました。
 
ブハラに到着したのが7日の14時過ぎ。30分強歩いてホテルに到着し、その足で街に繰り出しました。
在りし日を模し、美しく作られた街並み。土色のレンガで組み上げられた壁は、この地方特有の澄み渡る青空をより惹き立て、同じく青いタイルで形作られる魅惑の模様を際立たせます。精緻に計算されつくした模様かと思いきや、意外や意外、近くで視ると1つ1つのタイルは手作り感に溢れており、1つとして同じ模様は無いのですね。アナログの集合体がデジタルになるというか、なんというか…。ちょっとなに言っているかわかりませんね、自分でも…。

美しいし素晴らしい。でも…。そういうときって、ありますよね?


とにかく、この一目で感じられる “わかりやすい美しさ” や “誰しもを惹き込む異国感” は、大したものです。
当然、ブハラのメインストリートは観光客で大賑わいです、ブハラもサマルカンドと同じく、ヨーロッパ系を中心に、いろいろな国からカップルや家族連れ、団体さんからバックパッカーまで、ありとあらゆる種類の観光客が集まります。興味深げに建物を見上げ、アートとしても通用する精緻な土産物を覗き込み…。みんな本当に楽しそうにメイン通りを歩いています。その中に交じり、わたしもメイン通りを歩きました。
大満足で宿に帰り、少し酔っぱらった状態でweb日記を書き、そして独りきりのドミトリーで気分良く就寝。
次の日、宿で朝飯を喰ってから、すぐ街に繰り出したのですが…。
歩き始めること約20分。とうとうわたしは気付いてしまいました。というか、ずいぶん前から気付いていないフリをしていただけなのかもしれません。
わたしが気付いたこと。それは、自分が街歩きに飽きているということです。

すごくよくできた観光地なんですよね、ブハラって。


『サマルカンドと似ている』 
そう言ったらブハラに失礼でしょうが、実際ブハラの建物の感じは、サマルカンドで観た遺構と共通点が多くあります。対して、ブハラがサマルカンドと決定的に違う点があります。それは、『バザールが無い』という点です。サマルカンド観光のメインとなるレギスタン広場には、“隣接する”と言っても過言ではない距離に大きなバザールがあり、そのバザールにはもちろん観光客も訪れるのですが、地元の人々も多く行き来するのです。その “地元に交じる感” がサマルカンド観光をより魅力的なものに仕上げているのですね、特にわたしのようなタイプのバックパッカーにとって…。
当たり前と言えば当たり前なのですが、ブハラの土産物屋はすべて観光客向け、ブハラのレストランはすべて観光客向け。意地の悪い見方をすれば、そうなります。
「地元の人がいつも喰っている飯が不味い訳が無い」
というのはTVでも活躍する某ディレクターの言葉ですが、その逆を言うと
「地元の人が喰わない飯に旨いものがあるわけがない」
になります。もちろんブハラのレストランがすべてそうだとは言いませんが、値段も“観光客向け”なのは確かです。

こういうサンドウィッチって、適当に入った路面店で、めちゃくちゃ安いのに量が多くてそこそこ旨いから感動があるわけで、観光客で一杯のレストランに入ってコレ系を出されても、嬉しくもなんともないんですよね。ちなみに、画像のサンドウィッチは安くて旨かったですよ。


サマルカンドには合計1週間以上滞在しましたが、いわゆる“観光”をしたのは1日か2日。あとはバザールをうろついたり、道端でビールを飲んだり、スーパーマーケットで物価チェックをしたり…。そしてレンタル自転車を求めて彷徨った挙句になぜかチャリを買ってしまったり、無知無謀ゆえにチャリで中央アジア周遊を計画してみたり(ほぼ夢想ですが)…。つい一昨日には、ドルのキャッシュを求めてオフィス街を10km以上も歩き回りました。

祭り気分が大好きで、野次馬根性もバリバリですが、でも基本的には観光にそこまで興味が無いのですね、わたしは。だから、みんなが浮かれている場所に嬉々として繰り出すのですが、すぐに飽きてしまう。観光客向けにチューニングされた建築物やアミューズメント、食事より、ローカルの人たちが群がる娯楽や飯のほうが断然好みなんですよね。そこでローカルの人々に交じって楽しみ、そんでチョッカイ掛けられ、ときには言い合いなんかしながら街をブラブラするのが好きなのです。
だから、くれぐれも言っておきますが、ブハラがつまらないとかそういう話ではないのです。
わたしの興味の方向性として“観光”の割合が少なく、したがって観光客が好みそうなモノ全般に興味が薄いというだけのことなのです。

バックパッカーよりも、もう少し短期旅行者向けの街。そういうイメージですね、わたしにとってブハラは。


 

次の目的地はイラン。サマルカンド空港からテヘランに飛ぶので、前日に電車を利用してサマルカンドに戻ることにしました。
わたしにしては首尾よくブハラの鉄道駅に到着し、列車到着まで約1時間、ロビーの椅子に座って待っていると、見知った顔を見掛けました。
 
彼女は同じ宿に泊まっていたイタリア人、ターニャです。中央アジアのチャリ旅で培った『一緒に飯分け合えば仲良くなれる』精神を発揮し、コーヒーをすすめたわたし。ターニャは、予想の3倍くらいの笑顔で喜んでくれました。
「ありがとう」
正しい発音の日本語でそう礼を言うジュリア。
「え? 日本語話せるの?」
俄然前のめりになるわたしに、彼女は素敵な笑顔でこう応えました。
「ホントにちょっとだけ…」
 
結局ホントにちょっとだけしか日本語を話せないターニャと英語さえほとんど話せないわたしは、それ以上会話が続きませんでした。
その後、タイピング音も滑らかに、なにやらバリバリ仕事をし始めた彼女。それがひと段落してから、ゴア出身の野郎と楽し気に話すターニャ(彼は彼で良いヤツでしたよ)。
“次の旅までに、片言ながらも雑談を話せるくらい英語を勉強しよう”
わたしは固く決断したのでした。

バックパッカーにとって英語は、実は必須条件ではありません。でも、英語が話せれば世界が大きく広がるであろうこともまた、まぎれもない事実なんですよね。


そのターニャがバックパックを背負って目の前に現れたのです。
「どこに行くの?」
ハグをしたあと、わたしの顔を覗き込んで彼女はそう聞いてきました。
どうやら、電車や宿こそ違うものの、彼女もサマルカンドへ行くらしいのです。
彼女にこれまでの旅の経緯を聞かれ、それに答えた後、こう付け加えました。
「After go back Japan, I must work.」
それに対し、あと2年間くらい旅を続けるつもりの彼女はこう言いました。
「I have Laptop!」
イタリア語講師をオンラインでやっているという彼女。聞けば、母国語と英語はもちろん、あと3~4か国語くらいを話せるそうです。頭が良くて語学に秀で、さらに耳がいいのでしょうね。どうりで日本語の発音が上手いはずです。

きっと世界の共通言語は 笑顔じゃなくて英語だと思う。


 
電車に乗るためターニャが去った後、考えました。
彼女は頭が良い。それと共に、稀に見るくらい人当たりが良い。これまでの旅で何人か出会った『スゴい人』『魅力的な人』に余裕でランクインするくらいの人物です。その彼女が自分のやりたいことをバリバリやれるのは当たり前です。ものすごい能力を持っているのですから。
でも…。
わたしは思いました。
“ジュリアの10分の1くらいなら、おれだってなんとか…”
日本に帰ってから、わたしは働かなければなりません。年齢という高い壁にくわえ、“住み込み”という途方もなく高く分厚い壁を乗り越えて…。
ブハラのカフェで、今回の旅で初めて「求人検索」をしました。もちろん自分が就けそうな、適当かつ魅力的な求人など有るわけもなく…。

働きたくない! ええ歳こいたおっさんの、偽らざる本音です。


働いて金を稼いで、その金で旅をして、また働いて金を稼いで、その金で旅をして---。
その生活を選んだわたしですが、あと20年以上も “金のためだけの仕事” をするのはいろいろな意味で厳しいし難しい。要は、売りとなる専門性がないと、断続的に金を稼ぎ続けることが加齢とともに著しく不利になってしまうのです。
 
5年続ければそこそこ。10年続ければ大したもの。20年続ければ、ある意味いっぱしの専門家。そう考えた場合、わたしもなんらかの専門家になれるチャンスがギリあるかもしれません。
いや難しいですよ。限りなく狭い道になるでしょうし…。
でも、自分で「わたしはこれの専門家です」と宣言してしまえば、それってそういうことになるでしょうし…。たとえ一月に1万円だけでも稼げれば、それは “プロ” と言って差し支えなくなるんじゃないの?

ではでは、がんばっていきまっしょい!

豪華なホテルとか美味しい食事とか、はっきり言ってどうでもいい。わたしが体験したいのは、『興奮する瞬間』です。


 
 
 

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