与えられた選択肢に慣れてしまうことの危機感


私が、新しい働き方を考える上で、言語化できてなかったモヤモヤを明快に一言にまとめてくれたページ。

少し前に読んだ『ファスト風土化する日本 再考』で、三浦展さんが、郊外のロードサイドが発展してから、地方都市の大学の卒業設計の作品がおかしくなった。と語っていた。



三浦展さんも、本書の中で明確な因果関係がある訳ではないといいつつも、

私なり、たぶんその正体は、この「与えられた選択肢の中から選ぶこと」に慣れてしまい、自分で獲得した選択肢という実感がなくなったことなのではないかと感じている。

例えば、発注者倫理が欠けているという違和感も、事業者から与えられた選択肢の中から選ぶことしかできない人が増えてしまっているのではないかと危惧している。

担当者として、実現したい理想系や少なくとも欠かしてはいけない本質はあるはずで、それを言語化できないでいる。

事業者とのやりとりでも、互いの理想系をぶつけ合える対等なやりとりで無ければ良いものは生まれない。

そういう選択肢の中から選ぶ発注方法をやめようよ。

そういう与えられた環境や制度に合わせる働き方をやめようよということ。

人が大事なら人に合わせて柔軟に対応できる制度にしようよ。

そう頭の中が、整理された。

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