老後にいくらお金が必要なのかという問い自体が無意味

老後に2,000万円あって何になるのか?

「老後」というのはいつのことなのか、10年後なのか、20年後なのか。
それだけでも全く条件が異なる。

私は40代半ばなので、老後を20年後と設定してみる。
2045年前後に2,000万資産があって一体何が買えるのだろう。

20年後の2,000万は、現在の2,000万と同じ購買力を持っていない。
インフレは始まったばかりで、これからが本番だ。物価は%ではなく倍で上がることも充分考えられる。
日本は衰退国で輸入国で資源開発もほとんどされていない。このまま行けば弱くなる円で外国からモノを買うしかなくなる。
地球全体の資源(水と食糧)も不足する一方だ。気候変動がそれに輪をかける。

20年後の2,000万は、現在の200万程度の価値しか持たないかも知れない。
そしたら脇目を振らずに2,000万貯めても無駄になる。

マスコミも学者も故意にそれを言わないのではないか

数十年続いたデフレは例外的であり、ほとんどの時代と国では物価が上がる。それを考慮すれば「老後に2,000万必要」などとのたまうことが馬鹿げたことだと分かるはずだ。

でも大手のマスコミも、そこにやってくる学者も誰も突っ込まない。
みな一流大学出身で専門的な学問を修め、優秀とされるプロフェッショナルなのに。

私は彼らはわざと言及しないのだと思っている。それか本当に馬鹿かどちらかだ。
言及しない理由は混乱を避けるためだ。一般市民が資産を海外に移動させたり、会社を辞めて本気で自給自足を始めたりしないようにだ。そうした人々は例外的な富裕層か頭のおかしい陰謀論者にしておきたいのだろう。

大多数の人々には、黙々と会社に勤め給与の50%を国民負担として納めて欲しいのだろう。そうした人たちがテレビドラマやバラエティを見て、住宅ローンや子供の受験にお金を使う。大手マスコミは彼らから収入を得ている。

生きるのになにが必要かという本質的な問いが必要

生きるのに何が必要か。それは老後も現役も関係ない。
それは究極的には以下の4つだ。

①水
②食糧
③インフラ
④信頼関係

①から③は言わずもがな。
④は一番重要かも知れない。

水や食糧がいくらあっても、家族だけで自給自足が出来ても、
信頼関係が無ければそれらを守れない。
要塞のような家を作ってそこにこもるしかない。
そのセキュリティコストは恐ろしく高いはずだ。要塞を作るのにも費用はかかり、人でもAIでも犬でも見張りを立て、常に緊張したストレスフルな時間を過ごさなければならない。

信頼出来る人、資産を共有したり交換出来る人々が周囲にいたら、そのコストはかからない。それどころか強い味方になる。

信頼関係は大きな資産だ。
2,000万円より遙かに大きい。

昔の村落やラダック社会はそれをよくわかっている。
というかそれを大前提に作られたコミュニティだ。

マスコミも政府もその事実を出来るだけ隠したいのだろう。
それは市民とコミュニティの自立に繋がる。自分の意見を持ち、下らない商品を買うのを止めてしまうから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?