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本の声に耳を傾けて

物心ついた頃から、本を読むのが好きだった。

母はよく本を読む人だったけれど、その影響かどうかは定かではない。

でも小学生になって初めて図書室を見た時、「ここの本を全部読みたい!」と心から思ったことはよく覚えている。

もちろん、そんなことはできるわけはなく。図書室の端から始めた書棚一掃作戦は時にルールを破りながら、5分の3あたりで卒業のリミットを迎えた。

本はいつも私のそばにあった。

大人になって、可処分時間がめっきり減ってからも気になる本は少しずつ読んでいた。

そしてここ数年、小学生ぶりに強烈に読書したい気持ちに駆られている。

昨年読んだ本は100冊ほど。今年もそのくらいのペースになりそうだ。

でも、読んでも読んでもまだ読みたい。

なぜこんなに本を読みたくなるのだろうと考えていたら、ふとあることに気がついた。

読書している時だけ、ありのままの自分を感じられるのだ。

私たちは日々、いろんな顔と声と名前を操り、役割を使い分けて生活する。

それは嫌な意味ではなく、この複雑な社会で快適なコミュニケーションを取り合うための当然の行為。

ある時は親として、ある時は組織の一員として、ある時は友人として、ある時は発信者として。それらの断片をつなぎ合わせて、人生は続いていく。

でも本を読んでいる時の私はたった1人だから、役割は脱ぎ捨てている。

「私はこんなことを伝えたい」という本の声にただただ耳を傾ける。

自分の意識の中で、その声に対して思考しつつも、それを口に出すことはなく、操る表情や姿勢を気にする必要もない。

この静かな時間が何よりもの贅沢に感じるのだ。

社会人になって2年目の頃だっただろうか。たまたま入った本屋で、絵本や児童書の名作コーナーが立ち上げられていた。

そのエリアの本棚には、その昔、母が読み聞かせてくれた本や図書室で読んだ本がずらーっと並べられていた。

思わず「久しぶり」と小さく声が漏れた。そして、どこかから「久しぶり」と返ってきた気がした。

静かな読書時間はありのままの私に、多くの声を聞かせてくれた。

私は今夜もすべてを放って、たった1人、読書を楽しむ。


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