私の呪いをAmazonが解いた日
きっかけはふとしたことから
ワーママはるさんのVoicy配信が好きだ。毎日、家事をしながら聞いている。鋭い観察眼と豊かな語彙力から生まれる、世の中を面白がりながら潔く話す姿勢がいい。
ある日、はるさんが「日用品の買い出しはすべてAmazonの定期便で管理している」と話していた。
「は〜すごいな、やっぱり稼いでいる人は効率化を優先する」
そう聞き流していた。
ところが数日後、家計簿をエクセルでつけている時。ふとマツモトキヨシのレシートを見ながら、この商品ってAmazonだといくらなんだろう?と気になって調べた。
Amazonの方が安かった。えっ。驚く私。
わざわざ車を運転して店へ出向き、値下がり商品を選んでカゴに入れてレジに並んで支払いを済ませる労力の意味は、完全に無くなった。
稼いでいない人は楽をしてはいけないと思っていた
第一子が生まれた時、私は会社員。復帰後は時短勤務を選択した。夫が激務なので育児家事を分担できる見通しがなかったのだ。
産休からの復帰後、収入は残業代含めて10万ほど下がったと記憶している。復帰後初めて給与明細を見た時は、驚きすぎて言葉を失った。
稼ぎが少なくなった私はどこか負い目のような気持ちを抱えながら、家事育児を担当し続けた。
二人目がほぼ年子で産まれると、給料の半分が保育料と奨学金の返済、学資用の積立に消えていった。
時間も足りなさすぎて、工夫できるものや利用できるものはなんでも取り入れた。
週末の作り置きや最新家電。生協やAmazon定期便、地域のシルバー人材派遣への外注。結果、給与よりも支出が上回る月もあった。でも費用は自分で出しているという自負があった。
その後、夫の海外留学に帯同して退職。渡米し、専業主婦になった。
アメリカのプリスクールの学費は異常に高い。夫の会社から補助は出るが、超過分は家庭からの支出。負担が大きすぎて二人目は自宅で面倒を見ることにした。
時間に追われることのない生活は新鮮だった。一方で、財布の紐はきつくなった。外注なんてもってのほか。やれる家事育児はすべて自分でやった。
コロナの影響による緊急帰国後は、幼稚園の預かり時間を利用してのフリーランス職になった。
会社員ワーママ時代より稼ぎは不安定。でも時間に自由はきく。加えて夫は海外転勤が決まり、単身アジアへ渡航した。完全ワンオペ生活が始まる。ワーママ会社員時代に利用したさまざまな工夫は採用しなかった。
そんな資格、私にはないと思ったのだ。
「やれることは私がやればいい。時短や効率化にお金を使っていいのは、自分のポケットから費用を払える立場のママだけだ」
縦型の乾燥機なしの洗濯機を安く購入した。毎朝干す。雨の日は部屋干しして、コインランドリーへ。食品や日用品は習い事の合間に買い出して、運ぶ。幼稚園の預かり保育は仕事でどうしても利用しないといけない時以外は利用しない。
私はドロップアウト組。既定路線を外れたマイノリティ。楽をしちゃいけない。なぜなら稼いでいないから。いつのまにかそう思い込んでいた。
呪いに終止符を打つために
なぜ稼ぎがないと楽をしてはいけないという思考の癖があるのか。
思い当たる節はあった。父だ。
父の口癖は「扶養されているということを忘れるな」。学費や習い事、受験、成人式までこの言葉が飛び出した。
子供ながらに稼いでいないと選択権はないのだなと感じていた。
父はお金を大切にしろ、と言うことを伝えたかっただけなのかもしれない。
でもこの言葉は呪いの言葉になった。
言葉の威力は凄まじい。実家を出て十数年経ったのに、この言葉の呪力に気づかないでいた。
Amazonの価格に驚いたあと、普段から高いと感じていた幼稚園のバス代を出席日数で割ってみた。
1日往復170円。自転車で送ると片道20分、先生やママ友との交流もあり1日1時間はあっという間に過ぎていく。
もしAmazonで1時間が170円で売っていたら。私は迷わず買う。時間はそれほど貴重なものだから。
だとしたら、私が家庭に差し出している時間は貴重じゃないのだろうか。時間は誰にだって平等に存在するはずでは?
そう気づいたら、Amazonの定期便登録画面を開いていた。
夫より稼ぎが少なくたって楽していい。時間を買おう。Amazonには、近所のドラッグストアより安く時間が売っているんだから。
買った時間で自分のやりたいことをしよう。そう決めた日の話。
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