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繊細さはもっと評価されていいと思う

先日相談対応をしていた時の気持ち。

繊細さはなぜこんなにも世の中で評価されないのだろう。

あたたかくて優しくて一方的すぎない繊細さをもっている素敵な人が、まわりの人とのやりとりから、その繊細さはよくないものかのように思わされてしまう。
話を聞いているだけで胸が痛くて、あなたのその感覚はとても素敵だと私は思います、と一生懸命お伝えしました。


繊細さって、もっともっと評価されていいと私は思います。
たとえば誰かが困っていた時、「困っています」という発信の仕方は人それぞれで、助けてくれそうな人に声をかけられる人もいれば、動揺してその場にいるしかない人もいます。前者は誰でも気づけるかもしれないけど、後者に気づける人は少ない。でもそこに気付けるって、ものすごく大事なことです。

アンテナの感度が高いから、いろんなことに気付くことができる。
その分傷つくことも多いかもしれないし、傷ついた時の回復の仕方で工夫できることもあるかもしれないけど、でもその前に、アンテナの感度が高いってすごいことだということがもっと認知されてほしい
自分が気づけないことに気づいてくれるって、ありがたいことだと思うんです。
全部が全部自分がやらなくてもいい、自分ができないところを助けてもらう、というスタンスでいいじゃないですか。
なぜ自分ができないことは必要ないと切り捨ててしまうんでしょう…。


昔から、うつ病の人に対する世間のイメージにも反発の気持ちをもっていました。
うつ病と一言でくくるにはいろいろな方がいるので大雑把すぎるかもしれませんが、たとえば仕事で細かいところにまで気が配れたり、ミスが少なかったり、誰かが困っているときに手を差し伸べたり、いろいろなことができる方が多いです。そんな繊細な優しさを持っている人たちをうつ病にまで追い込んでしまったのは社会の方なのに(私見です)、本人にばかり責任を押し付けて厄介者扱いするのは本当に腹が立ちます。
その人たちが得意なところで力を発揮できるようサポートしていない方にも責任があるのに、そこはまったく見ようとしない。
そんな世の中の考え方を変えたいです。


繊細さは、パフォーマンスとして数字に出てくるようなものがないので、評価しづらいのだと思います。その難しさはよくわかります。
でも、だからといってないことにしていいわけではない。
ないことにされてしまうことによって、自分の存在意義すら揺らがされてしまう人も少なくない。その罪はとてもとても重いのに、責められることがないのはおかしいと私は思います。


少なくとも私は、どんなにつらくて悲しいことが多くても、繊細であり続けたいし、繊細さをもっている人を支えていきたいし、その素晴らしさを発信していきたいです。

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