見出し画像

安楽死について/「平成くん、さようなら」を読んで

書いてみたいけどずっと迷っていた「安楽死」というテーマ。
MIDORIさんが背中を押してくださったので、書いてみたいと思います。
賛否両論あると思いますので、よかったらご意見いただけると嬉しいです。
(※いったん公開してみますが、非公開にする可能性もあります。)


はじめに本のご紹介。古市憲寿さんの「平成くん、さようなら」。
私は古市さんの切れ味鋭いコメントが好なのですが、そんな古市さんが小説を書いて、しかも芥川賞候補にもなったなんて。いつか読みたいと思っていました。
その中でも、安楽死が一つのテーマになっていました。


私は安楽死制度に賛成の立場です。
理由は、救われる人がたくさんいると思うからです。


安楽死制度からまず連想するのは、自殺を考えている人を救う、これまでにない強力な手段になるのではないかということです。

今は、自殺しようとしたら、自分で手段を考え実行するしかありませんが、安楽死制度があれば、「安楽死したい」と相談に来てくれるようになると思います。
そこで、適切に対応できる体制を整えておくということが絶対条件ではあるのですが、相談にきてくれたら、その人が何に困っているのか聞いて、使える制度を案内したり、助けてくれる人につなげたりすることができます。
「安楽死」を標榜することで、自殺を考える人とつながる機会を持つことができ、結果的に、本来死ななくてもいい人を救える制度になるのではないかと考えています。

「平成くん、さようなら」でも、そうした世界が描かれていて、古市さんも近い考えなのかなと思いました。

「安楽死が普及してから、貧困を理由に死ぬ人が激減したってニュースは知ってる?安楽死にはカウンセラーとの面談が必須だけど、そこで経済苦を訴えた場合は、法律の専門家やNPOを紹介してもらえるんだ。
 任意整理や特定調停で債務整理をしたり、個人再生や自己破産のやり方を教えてもらったり、POSSEとかの労働相談に乗ってくれるNPOを紹介されると、ほとんどの人が自分は死ぬ必要はなかったって気づくんだって。(略)」


もう1つは、人に負担をかけてまで生きたいと思わない人の救いになるのではないかということです。

あくまで私個人の考えですが、たとえばいつか、誰かに助けてもらわないと生きていくことができなくなって、回復の見込みもなく、誰かの役に立てることもほとんどなく、家族にお金や負担ばかりかけさせてしまうような状況になったら、私はきっと生きていたいと思わないだろうと思います。
かといって、苦しいのは嫌だし自殺はしたくないので、穏やかに終わりにする道があったらいいなと今からこっそり思っています。
繰り返しますが、私個人の考えです。そういう選択肢があってもいいのではないかという一つの案で、すべての人がそう考えるべきということではまったくありません。

一方で、家族や親族の圧力で安楽死を選択させられてしまうリスクがあるとも言われています。
「平成くん、さようなら」でもそのような描写がでてきます。

「(略)和子おばさん、本当は死にたくなかったんじゃないかって。この10年くらい、娘とうまくいってなくて、売り言葉に買い言葉で死んでやるって言ったら、さっさと娘が葬儀を手配してしまったそうです。(略)」

ここは本当に大切なところで、どのような時に安楽死を認めるのか、こうした背景事情がないか、といったことはしっかり確認する仕組みを作った上で、専門家の質を担保することが必須だと思っています。


まとめると、私は、適切な基準とそれを適切に運用できる専門家が確実に用意できるという条件付きで、安楽死制度に賛成です。
それができるのであれば、メリットの方がずっと大きいと思っています。

でも、そうした運用をできる専門家もきっとほとんど存在しない中で、議論することすら難しい現状があるのではないかと思っています。

みなさんはどう考えられるでしょうか。
はじめてちゃんと言葉にしてみて、みなさんにどのように受け止められるか不安なのですが、反対意見でも構いませんので、よかったら聞かせていただけると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?