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思い出話で古希を祝う

 あっ、今日は春美翁の70回目の誕生日じゃないか。古希だったのにな、一緒に祝いたかったよ。ヘルパーさんにショートケーキを食べさせて貰って、調子に乗って食べ過ぎて、お腹が苦しいと訪問看護さんを呼び出して叱られてふくれて、後で苦笑いする。毎年のイベントだったね。

 13日に初盆参りに行った時に、誰かのカメラに写り込んでみたり、仏間の蛍光灯を壊してみたり、もう人工呼吸器から車椅子からも解放されて、先立った仲間たちとどんちゃん騒ぎをやってるんだろうな。

 そう言えば、去年の葬儀のこと。火葬した後の収骨の折、骨壺とは別に、何某がどこかで拾って来たような岩海苔か何かを入れてあったであろう瓶の蓋を開けて、「春美さん、ひと段落したら、言われた通りに津久見島の見える綺麗な海に撒くからね」と言って数本だけ取り分けた。そうか吉田さん、そんなことを言っていたのか。吉田さんの言うことなら、この期に及んでも嫌とは言えないんだなと思ったものだ。

 それから初七日が過ぎて、四十九日に故人の故郷に行った。お坊さんの経を聞き、納骨を済ませて実家を後にした。その後に、何某と私ともう一人で、昼ご飯を食べることにした。思い思いの食事がテーブルに並んだ。すると何某がおもむろにあの時の海苔のビンをポンと調味料でも取り出すようにテーブルに置いた。「これから撒くで」と悪戯っぽく言うので、「おうっ」と声をあげてしまった。

 吉田さんに言われた通り津久見島の見える綺麗な海を探しながら車を走らせること数分。ここがいい、ここにしようと3人の意見が一致。砂浜に降りて、波打ち際に行く。海苔のビンを開けると、吉田さんの骨がコロコロカラカラとそれぞれの掌に出て来る。骨に向かって吉田さんとか春美さんとか声を掛けてみる。さてどうしたものかと躊躇っていると、何某が柔らかいから指で潰したら粉になるからとやってみせてくれる。風が強い日であった。風上の何某の指から粉になった吉田さんが風に乗って、風下の2人に降りかかって来た。散骨とは厳かな儀式でなければならない。「わー、吉田さんがかかった」とはしゃいでしまう風下の二人、吉田さんごめんなさいと謝りながら、粉になった吉田さんがきちんと海に行けるように丁寧に撒いてやった。最後に海苔のビンを海水ですすいで、じゃあ吉田さんさよならとビンの水を切りながらお別れを言って、津久見島の見える海を後にした。

 こんなこと書かんでよと言われたけど、もういいだろう。生きてる時の楽しい思い出もたくさんあるけど、死んでからも吉田さんは楽しい思い出を私たちに提供してくれたと思えばいい。いいよね、吉田さん。ほら、入道雲の中で笑ってるわ。20230820

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