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ミニドライブ

大分の自宅から別府の事務所まで、通勤するようになって、もう8年くらいになる。1年のうち50日くらいは自転車で、後の200日は車で通勤している。自転車は自分の足でペダルを踏んで、タイヤが廻って前に進んでいることが、筋肉や息遣い、身体で感じる風や温度から実感出来る。

ところが、車に乗って通勤すると、確かにハンドルを握って、アクセル、ブレーキを踏んで運転はしている。もう40年以上運転しているから、頭で運転はせずに身体が勝手に運転している感じではある。けれども時々、不思議な感覚がやって来ることがある。

その不思議な感覚が出現するのは、大分から別府に向けて走る別大国道、片側3車線の真ん中あたりを走っている時、仏崎の手前あたりだ。左手に歩道があり、線路があり、山、空がある。右手に中央分離帯を隔てて、反対側に3車線、その隣にガードレール、歩道、堤防、海、水平線から空へと続く。

あれっ、動いているのは私の車なのか、もしかすると私の車は止まっていて、視界に入っている私の車以外の全てが後ろ向きに動いているのか。そんな感覚に摑まえられてしまうことが時々ある。

子供の頃、デパートの屋上で遊んだドライブゲーム、車はハンドルで左右にしか動かなくて、ローラーに巻きつけられた道路だけがクルクルと廻って来る。ミニドライブという名前だったらしい。10円玉を親にねだっては、背が足らなかったので、台に乗って楽しんだことを思い出す。

あの時のローラーに巻きつけられ連続する道路が今、ち密さを増して私の目の前に広がる景色となって、1日を1回転という壮大なロールとなりスクロールされているに違いない。あー、あの時にくねくねと曲がる道路を一度も脱輪せずに終わることが出来なかった。だからまだ、半世紀が過ぎた今でも、この場所に来るとゲームが再開されるのかも知れない。どうしたら終わらせることが出来るのだろう。

そうか、これは人生という道路のことなのかも知れないな。振り返れば脱輪だらけの人生だわ。もう後がないから脱輪するなと教えてくれているのかもな。いやぁ、無理やわ。とてもこんな生きにくい時代に真っすぐ決められた道なんて歩けないわ。私の場合、死ぬまでミニドライブは続いて行きそうだよ。

ここまで書いて、やっと気になって仕方なかった未完のミニドライブのこと、寄る年波で、忘却の渦の中に取り込まれる前に書き残せて良かった。次はどの記憶の断片を捕まえてやろうか。急がないと消えてしまうよ。

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