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J. M. クッツェー『モラルの話』くぼたのぞみ訳、人文書院

「モラルの話」ってどういう意味だろう? ちょっと構えながら読み始めたら、最初の短編「犬」はわりと軽めだった。ある家の前を通るたびに大声で吠えかかる犬がいる。飼い主に話をするがまったく聞く耳を持たない。犬はきっとこちらの恐怖の匂いをかぎつけているのだろうと主人公は思う。こういう体験をした人は多いだろう。こうして人を恐怖させていると知りながら、平気でいられる人間がいる。

そのあとは年を取った女がこの先どのように暮らすかという話が多かった。エリザベス・コステロ(クッツェーの作品に登場する知的な女性作家)も年を取り、いまや息子や娘に「一緒に住まない?」と心配されている。自分のあぶなっかしい状況を知っているが、でも彼女は自分らしく暮らしたいのだ。老いて衰えたのは「欲望のパワー」、そして彼女自身は自分を「叫ぶ者」だと考えている。コステロはクッツェー自身の重なる人物なのだろう。

コステロが出ると、かならず動物の話になる。最後の短編「ガラス張りの食肉処理場」は読むのがとても辛かった。老いたコステロは息子に電話をかけて、ふいに「ガラス張りの食肉処理場を作ったらいいのではないか」と言う。人々が平気で肉食ができるのは、その動物がどう殺されているかを見ていないからだ、と。確かにその通りだ。わたしもときどき動物が殺されていることを考える。かわいそうだ、人間はひどいことをしていると思う。「じゃあ食べるのをやめなさい」とクッツェーは言うだろう。でもやめられないのだ。自分でもずるいと思う。

この短編の最後はベルトコンベヤーで運ばれてくるひよこを性別によって選別するエピソードだ。この話は読むのがほんとうに辛かった。


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