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トニ・モリスン『青い眼がほしい』大社俶子訳、早川書房

トニ・モリスンの『タール・ベイビー』に感心して、この第1作も読んでみたら、これがまた素晴らしかった。『タール・ベイビー』は登場人物の設定が新鮮で、まったく新しい黒人文学が登場したなと思ったが、それに比べて第1作である『青い眼が欲しい』は何人かの黒人の群像劇で、それぞれの人がどのように不幸だったのか、それぞれの物語を書いている。と言うと、従来の黒人文学ではないかと思うだろうが、構成、文体、描写がさすがトニ・モリスン、なのだ。

登場人物の中では「わたし」という少女が一番幼く、一番元気である。窓が割れてもそのままにしているような貧乏な家の娘だが、生活の惨めさよりも彼女の生きるエネルギーが力強くて希望を感じさせる。そして何しろまだ幼いので、男女のセックスやら女性の生理やらをわかっておらず、吹き出してしまうような勘違いをする。しかしその姉フリーダは賢くしっかりしているし、父親と喧嘩ばかりしている母親も、乱暴そうでいて実はやさしい。

不幸なのはピノーラという女の子の家庭だ。この家族は、黒人として差別されていること、貧乏であること、教育がないこと、などに加えて彼ら独特の不幸がある。それは外見が醜いということだ。生まれつきの醜さもあるが、環境の不幸によってますます醜さが増している。ピノーラは本来は静かで知的な女の子なのに、どこに行っても軽蔑され、忌避され、虐められる。彼女を対等に受け入れてくれるのは2階に住む黒人の娼婦たちだけだ。

このピノーラが、やっと生理が始まったぐらいの年齢なのに、酔っぱらった父親チョリーからレイプされ、子どもをやどしてしまう。その子を死産したころからピノーラはだんだん正気を失っていく……。

こんな出来事を小説にするのなら、父親は間違いなく悪者扱いだろう。でもこの小説ではこの父親チョリーが母に棄てられた生い立ち、少年時代も丁寧に描いていく。印象的なのは、女の子と戸外で初めてセックスをしている途中に白人の男たちに見つかってしまう場面だ。白人たちは二人を見下ろして笑い、続きをやれという。屈辱的な状況で少年チョリーは自分の恥辱を目撃した相手の女の子を憎む。でも白人は憎まないのだ。彼らを憎んでしまえば、それは根本的な問題を直視することになり、自分の破滅になると知っているから。白人による黒人差別は、黒人自身の中にすでにある。そして、この彼がのちに自分の娘をレイプしてしまう場面の心理状態は非常に複雑だ。娘にやさしく守りたいと思うのに、その一方で憎しみが湧いてくる。

ピノーラに冷たくあたる母親についても、同じように子ども時代から始まり、チョリーと結婚し、幸せだった結婚が破綻し、自分の子どもにも辛く当たるようになっていく過程が描かれる。けっきょく本当に悪い人間がいるわけではない。まず黒人に対する差別があり、その結果の貧しさがある。また家族や生まれ方や成長過程の様々な出来事があって、転がり落ちるボールのように不幸な現在に向かってしまうのだ。

こういうストーリーを説明すると、不幸ばかりの小説のようだが、読んでいくうちにあちこちでユーモアがあるし、コミュニティの温かさも感じる。また今は不幸な人物にも、かつては楽しい一時期があったことが、どの登場人物についてもみずみずしく描かれている。そして『タール・ベイビー』でも感じたことだが、小説には違いないのにモリスンの文章はところによっては不思議なほど詩のように感じられる。

小説の最後は正気を失ったピノーラが、自分は美しい青い眼を手に入れたと信じている場面で終わる。外見の美しさとは何だろう。「ルッキズムは良くない」と最近では言われるけれど、人の容貌や姿の美しさは依然としてわたしたちの大きな関心の的だ。そしてそれはきっとある種の差別の根源にあるものだろう。この小説で「醜い」黒人少女ピノーラを中心に描いたモリスンが『タール・ベイビー』では「美しい」黒人の男女を登場させている。人の美について、モリスンがどんな風に考えていたのか知りたい…。

と思っていたら、たまたまインタビューでモリスンが「美」について語っている記事を見かけた。人の容貌の美についてではないものの、興味があったので訳してみた。

「美というのは絶対的に必要なものだと思います。特権や道楽ではないし、探し求めるものでもない。それは知識のようなもので、つまりわたしたちはそのために生まれてくるのです。美を見つけたり、美を自分の中に取り入れたり、美を表現することは人間の営みです。美が何かを権威あるものから言われようが言われまいが、美は存在するのです。この場所にいることの驚きや不思議さ。この圧倒的な美しさは――自然のものもあるし、人が創ったものもあるし、偶然のものや瞬間的に見ただけのものなど――絶対的に必要なものなんです。夢や酸素なしでは何もできないように、わたしたちは美しさなしでは何もできないと思います。」

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