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チュー太郎先生と私【シロクマ文芸部】

「本を書く、というつもりで書くことはないんですよ」
喫茶店で勝手に相席してきたグレーの着物姿でベレー帽をかぶったネズミっぽい年配の紳士氏が私に云う。
ウザい、というのが正直な気持ちだったが、
大きなポットのダージリンティだけ頼んで、ケーキをどうするか悩んでいた私に、和栗のモンブランとチェリータルトを頼んでくれたので少し話を聞くことにした。ちょうどそのどちらにするかで悩んでいたのだ。
「本を何十冊も書いた私ですが」
へええ、ネズミ紳士氏はもしかしてすごい作家さんなんだ。
「本を書く、ではなく、物語をどこかから手繰り寄せて文字にしているだけであって、本にしようと思っているわけではないからです」
「あのう、失礼ですが、私、もの知らずなので先生のお名前をお聞かせください」
私は一応先生の名前を聞いておこうと思って上目遣いで云った。
ひょっとしたら有名な人かもしれない。
「こほん。私は『池頭チュー太郎』という名前で本を書いている者です」
やっぱり!ネズミ!
忠太郎、かもしれないけど!
私の尊敬する池波先生のお名前をちょっとパクってるっぽいけど!
と思ったことはおくびにも出さず、私は
「池頭(チュー太郎)先生、ケーキを2個もありがとうございます。
池頭先生にケーキをご馳走になったって友達に自慢します」
とお礼を述べた。
先生は鷹揚に頷いた。
「SNSに書いてもいいんですよ。写真はお断りしますがね」
ハイ、と私は返事をしてお愛想でスマホを手に取り、紅茶とケーキを写し、紅茶をカップに注ぎ足すとチェリータルトの尖った部分をフォークで切って口に入れた。
「そもそも今の時代に『本』とはいったい何でしょう?
kindle本や有料note、朗読で聴く本もあるこの時代に、いったい本とは何なのか…」
それは私も同じことを思っていたので強くうなずいて同意を示した。
そして今度はモンブランを一口食べた。ここのケーキはとても美味しい。
ちなみに先生も自分の前にケーキを二つ並べていた。
先生はチーズケーキだ。ブルーベリーソースのかかったレアチーズケーキと、ホイップクリームの乗ったベイクドチーズケーキ。
チーズ!チュー太郎先生っぽいセレクトに私は嬉しくなる。
私も先生も、しばしケーキと飲み物に専念する。
先生の飲み物はコーヒーだ。もちろんブラックで飲んでいる。
私もコーヒーはブラック派だ。でもチーズケーキには紅茶のほうが合うような気もする。
「私も紅茶の時もありますがね」
絶妙なタイミングでチュー太郎先生が言う。
私は心の中でハッとする。
そういえば私が内心モンブランかチェリータルトか悩んでいたときに両方頼んでくれた。
もしかしたら人の心が読めるのかもしれない。
しまった、さっきから「チュー太郎」とか「ネズミ先生」って思っていたのも読まれたかも…あちゃ~
私は無心になろうと紅茶をごくりと飲んだ。
そうだ、本、本のことを考えよう。しゃべろう。
「そう、私も本が大好きなのですがkindle本も読むしAudibleも便利だな~って利用するんです。でも本っていうのに微妙にまだ抵抗があるんです~」
私は常日頃から感じていたことを口にする。先生が頷く。
「私も全く同じです。このご時世、kindleやAudibleを無視してはいけないのです。しかしあれは本なのか…。いやでも紙の本が絶版になってしまうことを考えると、作家としてもkindle化して残す道があるのはありがたく…」
うーん、うーん、と悩みながらもう何故相席しているのかもわからず私たちはケーキを食べ、それぞれの飲み物を飲んだ。
二つのケーキがなくなりコーヒーの最後の一口を飲み干すと
チュー太郎先生はさっと立ち上がった。
「いや、あなたのおかげで楽しいお茶の時間が過ごせました。
ありがとう」
そういうと私の前に一冊の本を置いた。
「いえ!こちらこそ、ありがとうございました。
ご馳走様でした。
本までありがとうございます、大切にします」
私が立ち上がってぺこぺこするとチュー太郎先生は私の紅茶の伝票も手に取り、笑顔で去って行った。
私は先生が置いて行った本を手に取ってみる。
『令和仮名手本チュー臣蔵 池頭チュー太郎』
思った通りの「チュー」だったので私は最後に紅茶を吹き出してしまった。ネズミのイラストの入った可愛い表紙に紅茶でネズミの形のシミがついてしまった。
紅茶の残りを飲みながら読んだその本はとても面白かった。
紅茶を飲み終わると私は読みかけのその本を大切にバッグにしまって立ち上がった。
「チュー太郎先生にケーキをおごってもらった人は」
と、マスターが私に話しかける。
「みんな、後に本を出版してるよ。
お客さんも何か書くんじゃないの?」
私はどきんとして頬が赤くなる。
「え!ええっと、ええ、まあ、ちょっと…」
ご馳走様でした!と叫んで私は店から逃げるようにして出た。
外に出ると、空が青いなあとか太陽が気持ちいいなあとか、幸福感でいっぱいで、スキップしそうになりながら家に帰り、
「チュー太郎先生にケーキをご馳走になった」
とSNSにつぶやいた。
知らない人から「おめでとう」というコメントが付いた。

(了)


*小牧幸助さんの企画に参加しています。


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