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ワタシも今、何者かであろうとし続けている

いやさ、、、、今日なんか急に暑くないか??東京さんよ??
美容院から1歩外に出たら身体中が一気に「もわ〜ん」とした空気に包まれて 一瞬で不快な気持ちになった。私が「暑い」とひとこと言う前に 私を送り出してくれた美容師さんが思わず「あっっっつ!」と言ってしまうくらいには湿度が高くて暑い日だった。

久しぶりに1日に2つもアイスを食べてしまったわ。



まぁそんなことは置いておいて。また「何者」の話を書く。そういえば朝井リョウさんの『何者』を私は読んだことがあるし、なんなら映画も観たけれどあれは今見たくない作品だな。就活生はあれを目の当たりにしてしまってはダメな気がする。心があまり強くない方は特に。就活は正直「落ちてもめげない」とかいう恐ろしいほどの精神力の強さを持ち合わせているかどうかの戦い(?)のようなものになってしまっているのだから。

まぁ今の就活への違和感はさておき、私は奇跡的にも、というかありがたいことに「ミモザ」として徐々に徐々に名前が知られてきている。受験ブロガーミモザから、就活について語るミモザになってきている。


だがここでふと思った。

私が毎日投稿をやめられない理由は、ここにあるのではないか?

私がこのnoteというプラットフォームで何者かであり続けるためには、「毎日投稿」が絶対条件のような気がしてしまっている。
私は私であるとともに、それと同時に、「ミモザ」という1人の「個」であり続けたいと願っているのだ。

受験ブロガー時代の繋がりでワンキャリア長期インターン経験者に出会えたり、最近は受験ブロガー同期が「俺も就活垢あるよ!」なんて言ってTwitterのDMをくれたりした。相変わらず私が「ミモザ」であり続けられるように声をかけてくれる人が絶えずいる。本当にありがたいことだ。

ミモザの地位は受験ブロガー時代はある程度確立されていたと言える。アクセス数的にも読者の数的にも。
でも今はどうだろう。私が「毎日投稿」を続けているからこそ、私のことをフォローしてくださっている方は少なくないだろう。noteは結構、周囲の人が書き続けていると自分も書き続けやすいものだから。

だから私はもうもしかしたら、「毎日投稿」をやめられなくなってしまったのかもしれない。失うものが異常なほど大きいように感じてしまう。誰かのタイムラインに必ず毎日存在する者であった自分が、ふと消えてしまってもそれに気づく人なんていないかもしれない。でもそれでも、「毎日投稿」はミモザであり続けるための最低条件となったように感じている。

最近毎日投稿することは義務感になりつつある。日付が変わる前にやばい!と思って記事を書き始めることも多々。noteに投稿後に表示されるカウントダウンの数字がまた「1」に戻ってしまうことに対する恐怖も大きい。
これをやめてしまったら、何かをずっと続けてこられた自分が失われてしまうように感じている。

別に毎日投稿しなくたって記事はある程度のペースで(ネタがないことはないので)書き続けられるはずなんだけれどね。

これがミモザという1人の「何者」かのサガなのだろうか。

ミモザがミモザとして居続けるために必要な何かなのだろうか。



そんなふうに思いながら今日と明日は山ほど溜まったES/面接対策/課題/テスト勉強をこなさなければならない。長い長い夏休みまであと少し。

良い夢を。

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