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腫れ物に触るような扱いを受けるくらいなら、過去をネタにしてしまいたい

昨日はただのぼやきを書いてしまったので、今日は長々と書きたいと思っているがどうだろう。白紙にメモはしているが具体的な文章は書きながら考えているから、意図せず長くなることが多い。逆に言えば長く書こうなんていう日には長く書けないものなのだ。多分。


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腫れ物に触るような扱いを受けるくらいなら、過去をネタにしてしまいたい
忘れられるもんなら、忘れたい

こんなことを何度も思ったことがある。自分の過去を人に話すのは嫌いではない、別に。ただその過去の中に話しても良いと思える部分と話したくないと思う部分がはっきりと存在しているだけで。

ただ暗い過去を話すときに、同情なんてしてほしくもなければ慰めもいらない。自分の代わりに誰かに涙を流してほしいとは思わない。だからこそ辛い過去も全部ネタにして笑い飛ばせれば良いとまで思ってしまう。

そりゃあもちろん全部ネタになんてできないけれど。

例えば暗い話でもネタにすれば少しは面白くなるのが「過去の恋愛」に関するエピソードではないだろうか。相手への気持ちがもうなくなっているからこそ、過去の失恋エピソードなどはネタにできるんじゃないだろうか。
それになんとなく「コイバナは盛り上がる」みたいな前提が脳内に存在している。友達の家に泊まった時、修学旅行に行った時。夜更かしする中で絶対に1度はその話になると言っても過言ではないような気がしている。恋愛に関しては。(異論は認める。)

そりゃあネタにできない過去の方が多いだろうとは思う。過去に自分の身に降りかかった恐ろしい経験を人に話せば、「かわいそう」なんて論外な言葉を言われるかもしれない。ちょっとしたシーンで特別扱いされてしまうかもしれない。相手は悪気なくそれをしてくることが断りづらい部分でもある。自分がそれを望まなくても周囲に余計な心配をかけてしまうような"トラウマ"のようなものを少なからず多くの人が抱えているような気がしている。


過去を思い出しても悲しまなくなったら、過去を自分のものにできたと言えるのだろうか。過去を思い出してもそんな過去があったからこそ今の幸せがあるなんていう風に思えたら、過去を自分のものにできたと言えるのだろうか。

辛い過去を自分の中で「消化できる」ということはどういうことだろう。自分の中できちんと「過去」を「過去」にできるとはどういうことだろう。
過去にある程度の折り合いがつけられること?その過去に関わる相手との関係を清算できること?徐々に辛い過去を思い出す機会が減るということ?

答えが何かよくわからないけれど、「過去」を「過去」にできる手っ取り早い方法があるならこんな世の中で苦労している人も少なくないだろう。


私はできるだけ過去をネタにしてしまいたいと思っている。その過去を軽い感じで話せるようになりたいと思って、意図的にネタにすることがある。誰かに過去に対するリアクションを取ってもらうことで、自分の中で消化(自分の中から昇華)しようとしている。

過去を話すことによって態度を変えられるくらいなら、少しでも過去をネタに変えて忘れてしまいたい。自分の中で消化できている"フリ"でも良いから。誰かに過去を笑い飛ばしてほしい。


過去は嫌でも自分につきまとってくる。別に過去のせいで未来が見えないわけでもない。過去のおかげで未来があるというほどでもない。でもやっぱりどう過去と向き合えば良いのか分からない。誰かに自分の過去を背負ってほしいわけでもない。でも誰かに打ち明けることを望めない。

そんなジレンマを抱えている人は、少なからずいると思うのは気のせいだろうか?誰かのそういう心をときほぐしたい、とは思うことがあるけれど、それも結局傲慢なのだろう。


大切な人にこそ打ち明けられない。大切な人だからこそ打ち明けられない。そんな過去を持つ人たちのために、匿名で自分のことを話せる場所は必要だと思っている。やっぱり自分1人で抱えるよりは、何処かの誰かが読んでいるような こんな場所に、過去の掃き溜めをつくることも悪くないのではないだろうか。





アァカコヲステテ、シアワセニナリタイ。