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おばあさまと暮らす-1

姉妹ケンカをした。私達はかなりどうでも良いことでケンカをする。

大学生と高校生の姉妹だが、幼稚園児のケンカのようで父や母に怒られる。

昨日もそうだった。

ケンカをすること自体珍しいことではないし、ケンカの全容を知らない(もしくは知ろうともしない、あるいは知りたくないとすら思っている)父に私だけが理不尽に怒られることもないことではない。

私はその日、我慢ならなくてパジャマと読みかけの本を鞄に詰め込んで家を飛び出し、徒歩10分程度で到着する祖父母の家に行った。

今、おじいさまは入院していて家にはおばあさまが一人でいる。

私は愛をこめて父方の祖父をおじいさまと呼び、祖母をおばあさまと呼ぶ。

(母方の祖父母にはまた違う愛のこもった呼び名がある。)

事前に私が涙声で今から行っても良いかと尋ねたとき、それはもう午後9時半だったわけだけれど、おばあさまは私の突然の来訪、そして宿泊を快諾してくれた。


おばあさまの家に着くまでの間、私は父が追いかけてこないか後ろを何度も振り返ったり走ってみたりした。

だけど父は追いかけてこなかったし、おばあさまの家に着いた後も連絡一つ寄越さなかった。


おばあさまの家に着いてインターフォーンを鳴らすと、「開いていますよ」と明るい声。

しかしドアは開いていなかった。30秒ぐらいしてから「開いていなかったね」と笑ったおばあさまが大きな扉の陰から現れた。

家の中に入ってまずしたことはおばあさまのスマートフォンの様子がおかしいと言うのでそれを見てやり、私は夕飯を食べそこなっていたのでおばあさまが用意してくれた夕飯を食べた。

そのあとはなんとなく寝転がったり歯を磨いたりして風呂に入ることにした。

私は祖父母の家の風呂が大好きだったので、すごく長い間そこにいた。

お風呂から出るとおばあさまから髪につけるオイルやクリームなどの説明を受けてそれをつけ、髪を乾かした。

おばあさまは美容部員をしていたこともある人で、美容や服装、身だしなみなんかにこだわりを持っていた。私はそんなこだわりを聞くのがとても大好きだったし、教えてもらったことを実践するのも大好きだった。


そのあとは祖父母が一緒に使っていた大きなベッドに入った。

おばあさまは私の後に風呂に入ったので、私より後にベッドの中に入ってきた。


おばあさまもおじいさまも(実は父と母も、そして妹も、もしかしたら私も)少しだけ奇妙な人たちだったので、おじいさまが入院した後も(私の叔父、すなわち祖父母の長男が亡くなったときでさえ)おばあさまは平然としていた。(心の内まではわからないが)

だけど、おばあさまは「このままここで暮らしても良いんだよ。私も一人で寂しい。」と言った。私はびっくりした。

おばあさまは元来ご飯を食べることも作ることも大好きな人で、料理はとても上手だった。

しかし、おじいさまが入院した後一切作らなくなったと言う。

「一人で食べるとなにも美味しくない」

おばあさまの言葉は少しだけ私を悲しくさせて、とても私を驚かせた。

おばあさまとおじいさまは、必ず夫婦になるべき2人であるという感じがするのにお互いがお互いを必要不可欠な存在であると自認している感じはしない2人だった。

私が「おじいさまと一緒だった時の方がご飯が美味しかったの?」と尋ねた真意は、いつもお互いをいないもののように扱っているけれど、それでもやっぱりおばあさまにとっておじいさまは大きくて大切な存在なのか?ということだった。

おばあさまは「いたほうがいいね、あれでも」と言った。

母と何度か話した。おばあさまはおじいさまのことを大切に思っていないのかなといいうことを。

おじいさまが入院してから様々なことがあり、私と母の胸に浮かんだ疑問だった。

私はおばあさまもおじいさまも大好きだったから、2人にもお互いのことをそう思い合っていてほしいと考えていたけれど、そうはいかなくて、そうはいかない2人が私の好きな2人なのだと考えるようにしていた。

だからその答えが嬉しくてたまらなかった。

私はその日妹の忌まわしい顔を忘れてぐっすりと眠ることができた。


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