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「寝ても覚めても」



一度生まれた愛は
二度と消えることなく
空と海のあいだを
まわる まわる まわる


tofubeatsの「RIVER」がずっと頭のなかで鳴っていた。本筋とは関係ないけどあのイントロのピアノは最高オブ最高。エンドロールが流れるのと一緒にさらさらと流れていく感じ。劇場で聴くのがまた良い。余韻の多い歌。




映画「寝ても覚めても」を観てからずっと、繰り返し思い出している景色がある。自分のなかにある美しい記憶と、すこしの後悔。



誰もが人生でいちどは心の底から恋焦がれる経験をしているはずで。

もし、ずっとまっていたひとが目の前に現れて、そのとき自分に大切なひとがいたとして。

そのときにとる行動をだれが責められるんだろう。


もちろんみているひとは亮平に感情移入したはずだし朝子まじありえない…、みたいな感想をもつのだろうけど、やっぱりどこかでわかるものはあるんじゃないかなと思ってしまった。朝子は衝動のままに実現させられる女だった。それをみんなどこかでうらやましいと思ってるんじゃないのかな。


理性と感情のバランスが、ほんのすこし違うだけ。


朝子があそこで麦の手をとって走りだしてしまったことも、そこは拒絶するべきで、亮平についていくべきだったという意見も、どちらも正しいしどちらも正しくない。ひとはみんなそのひとの感情が第一に肯定されるべきだと思う。

世の中きれいな恋愛ばかりじゃない。





そのときわたしは24歳で、ひとまわり上の男の人がすきだった。世間一般的にいうと”好きになってはいけない人”で、それはよおくわかっていたけれど、好意を隠さずにいられなかったし、彼はそれを受け止めてくれていて、私は心地の良い場所を得てしまった。初めて彼と過ごした夜に嗅いだ煙草のにおいは今も街中でフラッシュバックする。



でも、やっぱりそんなのに永遠なんかなくって、続けば続くほど求めてしまう私にきちんと線をひいたのは彼のほうだった。優しい彼は私を認めてくれたけど、ここまでだよと諭すのもまた彼の優しさからだった。


あの日、「じゃあ、」のあとに「また」は来なかった。
去っていく背中と踏み出せない右足。
行き先の決まっている彼と立ち止まる私。
すべてを”過去”にしてしまえるほどその時の私は器用じゃなかったし、そんな私をわかっていながらも受け入れて、そして拒絶した彼は、とても優しくてとても残酷に思えた。



ぜんぜんシチュエーションは違うけど、そのときに感情だとか風景だとかが一気に呼び起されてしまって。共感とか、そんななまやさしいものではなくて、揺らされる、そんな作品だった。


ひとの記憶の奥底にあるものを呼び覚ますのってやっぱり芸術なんだなあと思う。映画も音楽も絵も。




太く 深く 強く

愛は川のようなものだ。




「最初からあんたはそうすると思ってた」

ってセリフ(ニュアンス)がすごい良かったなー。



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