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痛みなくして得るものなし ─ 積極的分離理論(1)

あなたには「創造的本能」が在るか?

世の中には繊細な人に向けて、「生きづらさを乗り越える方法」「自分の長所を活かす方法」「もっと楽に生きる方法」などのアドバイスがカウンセラーや精神科医たちを始めメンター側にいる経験者たちによって熱心に発信されています。私はそれらをほとんど見ません。理由としては、分かりきっていることしか書いていない上に、百年も前に実行済みのことばかりだから。新しい発見がなくつまらないからです。

自己分析を徹底的にしたことがあり、自分が広く深い内面世界を持ち、かつ人生最大の武器(サバイバルのためのリソース、内的資源)ともいえる創造的本能を持っている人間だと確信しているなら、少しの先人の知恵を知るだけで日常の細かな困難なら軽々乗り切っていけます。商業体制に乗っかった誰かからのアドバイスなんかなくても、過去の書物や自分の中から不屈の新たな自分軸を創り出せるからです。

「創造的本能」ってなんだろう?
これは単に作品を作る創造的能力のことではなく、自己の内面に『自己変革』の機会を与えてくれる創造的な本能のことです。記事後半の(2)で更に掘り下げています。

「深く考えなくてよい」「もっと気楽に考えよう」「今この瞬間だけに集中しよう」「こうすると苦痛が消える」……このタイプの助言を本当に必要としているのは、上のような武器を持たない人たちです。もしあなたが創造的本能を持っていない人なら誰かからの助言を受け入れるのがよいと思います。そのためにも、まずは何より自己理解を徹底しておこなって、自分の中にいったい何がどれほど有るのか、熟知しておくべきだと思うのです。

つまり(誰かのお財布を肥やすタイプの)アドバイスや助けが必要かどうかは、アドバイスを受ける人間がどんな人間か? によって違ってくるわけです。いわゆる「一を聞いて十を知る」タイプにもそれほど必要ないはずです。ほぼ自分の中から答えを引き出せるから。
また、先の記事に書いたように、レスリー・シャーストン(『春にして君を離れ』の登場人物)のような、人類の中でも稀にみる強い精神性を持つ人間は、カウンセラーがいうような内容はすでに子供の頃から熟知しているはずなのです。もちろん不完全な人間なので、書物から先人の知恵と役割モデルのような存在を見つけておくと役立つことでしょう。でもそれがあれば、日常の小さな困難などすいすい乗り越えられるはず。いや、すいすいまでいかずとも一つ一つ自分のペースで乗り越えていけます。

大切なのは、本物の試練に遭遇するときです。つまり、その人の真の人間性が試される、これまで常識と信じていたものが大きく揺らぐほどの危機、強い不安、恐怖、内的葛藤に遭うとき。土台と信じてきたものが揺らぎ、恐れ、羞恥、後悔、罪悪感などの強い感情が内面から湧き上がるとき。真の苦難や挫折に出くわしたとき、なのです。──そんなとき、学歴、キャリア、築いてきた社会的地位、名誉、誇り、誰かからの助言、ましてや小手先の処世術なんてものは何の役にも立ちません。それらはすべて頭で考えて獲得してきたものでしょう? この真の苦難は、「頭」ではなく「感情」が揺さぶられる精神の問題だからです。

積極的分離理論(TPD)とは?

今日書くことは、真のギフテッドの方にはお馴染みのことなのだろう、と考えます。しかし私は当事者ではないのであくまでHSS型HSP及び創造性や自律性を持つHSPのために語ります。これはギフテッドのための記事ではありません。積極的分離理論はギフテッドのみが知り得る不可思議で難解なものではないからです。ちなみに、以下を明らかにしておこうと思います。


私が考えているギフテッドとは:
先天的に非常に高い知性、並外れた共感力、鋭い倫理観、善を愛するゆえの強い正義感、自己犠牲を厭わないレベルの博愛精神、類い稀な独創性、強固な主体性など、高度な知性と深く豊かな精神性を持つ、人類の中で希少な人間のこと。最も高い人格レベルへと辿り着ける能力を持って生まれてきた人のこと。IQが高い人や天才と呼ばれる人のことではありません。
(そもそも私などに彼らの全てが語れるはずはないので、当然説明不足があるはずです。個人的視点の話です。)


◆少し前置きを……
私はHSS型HSP研究の専門書以外にこの理論についての説明をほぼ見ていません。特に誰かが個人的に発信している説明には真面目に目を通していません。なぜなら、私自身のオリジナルな言葉でこれを語ってみたいという気持ちが強くあったためです。人からの受け売りみたいになるのが嫌なのもありますし、知った瞬間これは体感的に知っていることだと感じたことが理由でもあります。そして少し前に書いた、『歴史の中に垣間見てきた愛してやまない人物像』に関わるものだと感じたため、専門書から得た基本知識を咀嚼した上で、自分の経験で得た感覚を交えつつ、己の言葉で表現してみたいからです。(加えて、先の記事で書いたギフテッド当事者の記事を一番最初から意気込んで辿って読んでいましたが今は一旦中断しています。烏滸がましいことですが、私なりに解き明かして語ってみたい真理や原理があり、トピックに被るものがあるかは分かりませんが、いわば解答表を見ずに独自に書き出してみたいからです。例え間違っていても。ある程度書きたいことを書き切ったら答え合わせも兼ねて改めて拝読するつもりです。)……ですから、熟知している方々から見て異存があったり、説明不足と感じる部分があるやもしれません。それでも私の方は全然かまわないのです。間違いや不足があればぜひコメントを下さい。また、まだまだ研究の余地がある理論なので、(字数も限られてる以上)そもそも個人が完全に述べられるものではないのかもしれません。

◆追記◆(2024/05/20)
ギフテッドの方々がする体験及び体感表現と私の説明は合致しない部分も多いのだろう、とじわじわ気づき始めています。私自身がギフテッドではなくHSS型HSPであるため、HSS型HSPが体感し得る表現でしか語れないせいですね。

◆ここから本題
これは、ありていにいって「人間成長物語」だな、と。理論と名がついているのは素晴らしいことでもありますが、theoryという呼び名はややもすると滑稽に感じられます。なぜならこれはとても強い人間の情動が関わる話なので個人的には頭で理解するもののように語られていることがおかしくもあるからです。

それでも……。
これは「理論」とされてよかったのだろうと思います。創造力豊かなHSP、とりわけHSS型HSPにとって、これを認識しておくことは意味深い人生を送るために有用な知識となり得るからです。理論であるおかげで人格形成への強い意識を持ち得るからです。

HSS型HSPとは、繊細でいながら日々を淡々と生きられない人のことです。上に挙げた『創造的本能』を生来強く持っているので、自分は他の人とすごく違っている、と違和感や孤独感を覚えやすく、また人生に深い意味を見出そうとするため日常が精神活動にあふれています。このように生きたい、このようになりたい、と、生きる上での強い動機付けを必要とする人たちです。おそらくHSS型HSPの方は、何かを強く求めていたり、何かを必死に発信したりしていることでしょう。複雑で混乱に満ちた激しい精神生活を送っているのです。
このような、繊細で深い内面を持つ人、自分が持つ豊かな想像力、創造性、自律性を発揮したいと願っている人たちが、果たして自分は本当に意味ある人生を送れているか? と自問の機会を与えてくれたり、精神の質を高めるための自覚を促してくれるのがこの『積極的分離理論』の価値だと私は考えました。

痛みなくして得るものなし。

西洋医学および社会一般の価値観においては、精神が安定している状態(不安や恐れや苦痛のない、統合された精神構造)を、人にとって正常で良好で望ましい状態であるとします。人は皆そのように安定した精神をもって人生を送るべきだ、と普通に考えられていますし、そう信じられています。これが正しい社会人の心の状態だとして疑われることはまずありません。
例え生活の中で問題が起きて疑問や苦難にぶち当たることがあっても、元の安定状態へと戻ることがとにかく推奨されます。精神科医やカウンセラー、世にいる多くのアドバイザーたちもその多くは『正常へ戻るための方法』ばかりを配信しています。もしこの「安定した精神状態」を逸して苦悩する者がいれば、それは望ましくない状態とみなされるでしょう。場合によっては精神疾患とされ、精神障害者、治療の対象者とされることもあります。

しかし、「自分の所在について自問することもなく、苦痛も疑問もなく、安定して統合された精神構造を持つ状態、それこそが健全な精神である」──この考え方とまったく異質の考え方をした人物がいます。それが、ポーランドで30年以上にわたり精神科医また心理学者として患者と向き合ってきたカジミェシュ・ドンブロフスキです。精神の安定ではなく、むしろある程度の不安、恐れ、苦痛がある状態こそが良好な精神である、と彼は考えたのですね。
なぜでしょう。人が道徳的行為に焦点を置いた高い人格形成へと段階的に上がっていくには、「より高い発達段階における再統合」を誘発する必要があるからです。その再統合を果たすためにこの「痛み」こそが必要不可欠であるとドンブロフスキは考えました。……これが『積極的分離理論=Theory of Positive Disintegration(TPD)』と言われるものです。先にも書いたとおり、理論といっても頭で考えて把握する類いのものでないところが他の多くの理論との大きな違いです。体感的にしかそのクオリアを知ることはあり得ないからです。これは人として人生の長い時間をかけて体現(自己の内面に構築)していくものだからです。
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クオリアとは非常に難しい脳科学的概念ですが、ここでは、意識が感知する質感、実体のないものの実体を感じとる意識、と個人的に定義して使っています。
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◆理論構築のきっかけ
ドンブロフスキがこの理論を構築した背景には、彼が第一次世界大戦の悲惨な戦闘を体験したことが大きく関係しました。容赦ない砲兵戦の後も剣による戦いが続き、戦闘が終わった戦場には数百人もの息絶えた若い兵士の死体、それは無残に切り刻まれており、ゲットーへ連行される大勢のユダヤ人や、道中で衰弱した者や病人が無慈悲に殺される情景を目の当たりにし、自分と親しい者たちも常に死と隣り合わせだった……。このような経験から彼は、人間が持つ残虐さ及び非人道的な部分と、人間が持つ繊細で犠牲的で勇敢な部分、その両面の「対比」を見せつけられたのです。最低から最高までのレベルの人間性、価値の階級の全体像をこの戦争を通して鮮烈に見て感じたことがきっかけでした。

先に私が書いた『春にして君を離れ〜』の記事を読んでくれた方には思い出してほしいのですが。共同体を安定させるための社会規範というものがあり、ほとんどの人間はジョーン・スカダモアのように、立派な人間であろうとして真面目に、熱心に、それに追従して生きています。人々の大半(ドンブロフスキによると65%程度らしい)は、自分がいる文化のルール、価値観、信念から大きな影響を受けており、何かの選択や振る舞いに「個人の倫理」をまず反映させません。今ある社会に疑問を持たないのです。多くの人はこうして構築された一般社会の中で目に見える成功を追いかけています。
自律性を発揮せず、生物的動因と利己心の満足という動機づけにより動き、社会に強く同調して生きています。例え内的葛藤が起きることがあったとしても自己変革を起こすほどの内面の力は発揮しません。せいぜい葛藤が起きない状態へと戻るのを欲するくらいではないでしょうか。目の前の現実と自分との関係について考えたり、自己や社会を大きく変える必要性も感じず、置かれた環境の中にじっと収まって生きています。……これが第一の統合段階です。……誤謬を恐れずいえば、いわば『メンタルが安定した状態』なのですね。

◆人格更新の機会(チャンス)
しかし人間である以上いつかどこかで、この規範の歪みや脆さに気づいたり、真実の追求と幸福の追求が相反してしまう場面があったり、善を追求するゆえに四面楚歌になる瞬間があったり、様々な問題にぶつかることが起こり得ます。知性が高く敏感な人ほどこれに速く多く気づき、強く感じるのでしょう。果たしてこの「安定」は正しいのか? この安定の中に無為に身を預けていてもよいのか? との疑問が生まれます。強い内的葛藤が起き、精神が不安定になり、痛みが生じるのです。この状態をもっと具体的にいうと、自己の中で利他的で道徳的な性質が高まり、利己心と社会通念への執着、基本的欲求や本能に対する関心が薄れています。『メンタルが不安定』なので、ある意味とても恐い状態ともいえます。

①社会通念に盲従している状態【統合の第一段階】→ ②疑問にぶつかり痛みが起きる状態【分離が発生した状態】

ドンブロフスキによれば、この【分離が発生した状態】こそ、社会規範や社会的価値にやみくもに従うのをやめる貴重な機会だというのです。自らの精神的な質の存在を自覚し、自ら選択し、自らを認め、自ら決定する──これを可能にしてくれる状態であり、不安定で痛みを伴う新たな感覚が発達するこの時にこそ人格は更新されていくのだ、と彼は考えたのです。これが起きていない状態はむしろ「精神的に健康ではない」というのですから、これは世の中の価値観と対置する価値観であり、それがこの積極的分離理論を他の理論とはまったく違った特異なものとしています。

人それぞれ置かれた状況は異なるため、不安定さや痛みの程度はその時々で違うことでしょう。人によってそれは人生どん詰まりの状態であったり、内面で苦悩が燃えたぎり、激しい情動が起き、足元が揺らぐほどの恐怖の中に置かれる状態であったりします。どうやって生きればよいのか、どう進むべきなのか、苦しみもがく経験であったりします。

正しいと思っていたものが正しくないと知る時の恐ろしさを理解できますか? 信じていたものが幻だったと知る時の恐怖と絶望を想像できますか? 

孤立無援、絶体絶命、四面楚歌、まさに死を見るような思いである場合もあります。冷や汗が吹き出て、鼓動が激しく脈打ち、時には心臓が石のように重く感じ、燃えたぎる悲しみと恐れに身を焼かれそうになり、暗闇の宇宙に一人投げ出される感覚、果てしない孤独を見る感覚だったりします。……人は「感情の生き物」です。感情の動きなしに、新たな何かを見たり、新たな道へ進むことなど起こり得ません。【分離】が強いほど激しい情動に意識が掻き乱されます。

◆【分離】の次は?
さて、ここから先が問題です。つまり②の次の「→ 」は何処へ向かうのでしょうか。それは③「↑」へ進む道です。上の段階へ行く、自分から積極的に選択する(=自律性、主体性がものすごく強まる)ので上へ向かって伸びる道だと考えるのが自然です。しかし、誰しもが発達へと自分を導けるわけではありません。(この【分離】は必ずしも常に生産的なわけではなく、時にはマイナスの結果を生むこともあります。痛みを感じていても、もしそれが「利己心」から派生した痛みなら成長志向でないため発達へとは繋がりません。)

HSS型HSPは、『創造的本能』を持っています。これこそが、例えしばらくのあいだ感情的混乱に身を置くとしても、人格発達を妨げようとする内部構造からの「解放」を可能にしてくれるのですね! 前のレベルである低次元の精神構造がすべてバラバラに崩壊して、自律性によって積極的に次のレベルへと上がり、そこで自己が【再統合】(=精神の構造が再構築)されるのです。

いわば信じていたパラダイムの大崩壊を感じながら、自らの強い意志でそこを進んで離脱し、新たに創り上げた価値観へと向かう。まだ痛みは残っている。でもそこに開けた新たなパラダイムは自分の力だけで掴み取ったかけがえのないもの。再認識したオリジナルの世界。その瞬間心にあるのはこれと共に生きる強い意志と明るいビジョン。──私なりの体感的な表現で言えばこのような感じです。個人的にいうと、これはかなりの苦痛が伴う経験ですが、この経験こそが誰かに分け与えられる力を生み出すことも感じられるので痛みと共に喜びも同時に心にあるのです。長い月日の中で大小様々な経験を通して知った感覚なのですが、三十代半ばで起きた分離が人生最大の痛みでした……。そのときは再統合が滑らかな形で内面に収まるまで長い間痛みが続き、快適になるまでに数年の月日を要しました。でもそれがあったからこそ今があります。あのとき分離と再統合を成し得なかった自分の姿を思うと恐ろしくも思います。

また、注目すべきことをひとつ。この進行は直線的ではありません。普通の理論なら、あるレベルを頂点とし前を捨てながらそこを目指してまっすぐ進むというでしょう。ですがこのTPDは、前の段階が崩壊してもそのレベル自体は変わらずそこに残っているのですね。私たちは様々な段階をまたがって移行するのです。つまり、進行と退行が繰り返されるということが起こり得るのです。
……ジョーン・スカダモアは統合の第一段階からの分離の不安定状態をしばらく味わいましたが、痛みを受け入れる勇気がないため無意識のうちに崩壊を避け、安定した第一段階へと舞い戻ってしまいました。つまり積極的に分離を果たすことを放棄しました(前の記事参照)。……それは多くの人にとって痛みのない幸福な状態なのです。世間で『正常な精神状態』と呼ばれていたり『安定したメンタル』と言われているものであり、人類の過半数にとって『幸せで平穏な』生き方なのです。

続き(2)↓



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