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(詩)蝕

エクリプス 

四月
週末の昼下がり
うららかな春の陽が差し込む
開いた窓からは
やわらかな風に乗って
ライラックの香りが運ばれてくる

小鳥のさえずりを聴きながら
窓辺のテーブルに
とっておきのクロスを掛け
香り高い珈琲を淹れる
贅沢な孤独の時間

四月は残酷な月だ
と言った詩人をふと思い出す
けれどもそんな言葉は
この平和なひとときには
まったくそぐわない

ぼくは陰気な英国詩人を
脳裏から追い払い
のどかな春の日を楽しんでいた

突然 日差しが暗くなり
ひんやりした風が吹き込んできた
ぼくは思わず外を眺めた
雲でも出てきたのだろうか

だが頭上には
さきほどと変わらず
雲ひとつない
青空が広がっている

それなのに
寿命の尽きかけた
電球のように
太陽だけが光を失っていた

書斎の引き出しに眠っていた
日蝕グラスを取り出すと
急いで庭に出た

天を見上げてグラスをかざすと
太陽はもう半分ほど
黒い影に覆われていた

おかしい
日蝕が起こるなどという
ニュースはなかった
科学者たちは
何十年も先まで
天文現象を予測しているが
この地で次に蝕が見られるのは
まだ何年も先のはずだ

でも現にいま目の前で
日輪は急速に欠けつつある
まるで恐ろしい何ものかに
蝕まれているかのように

いったい何が起こっているのか

昔の人は
天界に異変が起こると
不吉なことがおこる
終末の前兆と考えた

もちろんそんな迷信を
信じるぼくではないが
科学では説明のつかない現象に
漠とした不安を感じつつ
呪縛されたように
天を眺め続けた

日蝕グラスの中で
太陽の白い部分が
みるみるやせ細っていく
焼けた鉄板の上に置いたバターのように
あるいは暗黒の海に沈みゆく
白い豪華客船のように

ついに
太陽は影に呑み尽くされた
その瞬間
あたりは真昼の闇に包まれ
白昼の夜空には
それまで陽光に隠されていた
秋の星座が輝き始めた

そして
漆黒の日輪の周りに
燃え上がる白いコロナ
それは無数の白蛇からなる
メドゥーサの髪のように
妖しく輝いていた

鳥たちは歌をやめていた
静まりかえった街のどこかで
犬が吠えている
一陣の冷たい風の中に
死んだ桜の花弁が舞っていた

ぼくは
天空の魔物に魅入られ
石化したかのように
世界の翳りの中心に立ち尽くしていた

どれくらい経っただろうか
いつの間にか
太陽はもとの輝きを取り戻していた
頭上には春の青空が広がり
地上では鳥たちが
何事もなかったかのように歌っていた
あの怪異が嘘のような
穏やかな四月の午後がそこにはあった

いったい何が起こったのだろうか

ぼくは我に返ると
悪い夢から覚めた気分で
家に戻った

日蝕グラスを仕舞おうと
書斎に入ったとき
そこにある姿見の前で
ぼくは凍りついた

鏡の中から見知らぬ老人が
こちらを見つめている
深いしわが刻まれた
荒地のような額の上に
生気のない白髪が
垂れ下がっている

だがその顔には
どこか見覚えがある
そう それは
メドゥーサにいのちを奪われた
ぼく自身の姿だった

詩人は正しかった
たしかに
四月は残酷な月だ

※「陰気な英国詩人」とは、アメリカ出身で英国に帰化したT・S・エリオットのこと。「四月は残酷な月」は代表作の一つ「荒地」の一節。

※メドゥーサはギリシア神話に登場する怪物。蛇の髪の毛を持ち、見たものを石に変える魔力を持つとされる。

(2021年4月5日 MY DEAR 投稿作・改訂済)

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