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“慈愛”という果実

もう30年以上も前に、ハンガリーから
母へのお土産に買って帰った陶器製の素朴なお人形。
ひと目で気に入り、即決で購入したものです。


その首にいつからか可愛いリボンが
スカーフのようにあしらわれていました。

長野県の安曇野に疎開していた少女時代
道のあちらこちらにある道祖神に
お洋服を作って着せてあげていた、優しい母のこと。

このお人形にもおしゃれさせてあげたくなったのかな?
と、思いきや

3.11の震災で倒れて こきんと首が折れてしまったので
修復し、接着剤やヒビを隠すためにつけたのだとか。。

、、

チャームポイントにしかみえないものの向こうに
その方が克服したコンプレックスが潜んでいることは
よく、あります。

健気に、明るくふるまっているけれど
誰にもいえない苦しみや悲しみを抱えている方も
よく、いらっしゃいます。

 というより、そうでない方のほうが少ないのではと…

ポジティブでいこう!というスローガンも頼もしいですが
そもそも人間とは、様々な感情、状況を体験し
そこから何かを受けとって、皆で成長しあう悦びを
体験するために生きています。

悲しみや喜び、苦しみも、すべては共感の栄養となり
共感は愛の種子になります。

その種子が成長すると
“慈愛”という果実が実るのだと思うのです。

世の中に、とても悲しい音楽がたくさんあるのは
好ましくないように感じられる感情にも
何ひとつ不要なものはないのだと伝えたいからかも。

むしろ、

わたしたちには、悲しみを共に感じあうという
美しい魂があることを教えてくれるために、それがある。

  …そんな気がするのです。

一年前の今日、父が脳梗塞で倒れました。

救急車がきても、あまりにしっかりと受けこたえするので
搬送すべきなのか否か救急隊の方がなかなか決断できず
1時間以上、あれこれ検査をしたすえ運ばれましたが

その夜手術をうけ
二度と帰宅することなく、1ヶ月後に旅立ちました。

人生で味わう豊かな感情のすべては  愛 となって
その人の発することばや紡ぐ音、その人の笑顔、、、

すべてに宿っていくのではないでしょうか。

  そう信じて、ピアノに向かい続けています。

  
#川崎町だより #杜音 #ハンガリー #東日本大震災

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