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コメダ珈琲ででてくる豆に、いつの間にか抱いていた何とも言えない感情

僕は作業をする時によく使う喫茶店がある。

モーニングで有名なコメダ珈琲だ。

そのふかふかなイスと美味しいパン、落ち着く雰囲気に包まれながら作業をすると、いつも100分かかることが10分で終わる気さえする。そしてその残った90分でTwitterをするという、とても有意義な時間を過ごすことができるのだ。もちろんこの90分は次の作品を生み出すために欠かせない準備期間なのであって、この一見無駄とも思える時間は貴重な自分のインプットの場となっている。はず。

話を戻すと、コメダ珈琲は僕の最寄り駅近くにあり、僕にとって非常に便利な場所にあるので、ちょっと集中して作業をしたい時にふらっと寄れる必要不可欠な存在である。

コメダ珈琲との出会いは約5年前。特に意識せず入った喫茶店がたまたまコメダ珈琲だったと記憶している。確か吉祥寺店だった。そしてミルク珈琲を頼んだ時にヤツは当然のようについてきた。

僕「え、なにこの小袋?」

友達「えっ初めてなのコメダ?豆だよ。豆。」

ま、まめ!???

なんで豆なんだろう?コーヒーに豆?合うのだろうか?まぁもらえるものはもらっておこう。ちょっと食べてみるか…

僕はちょっとおしゃれな雰囲気のする小袋をあけ、豆を頬張った。

…うん。豆だ。

紛うことなき豆だ。

ちょっと塩味がついている。

噛みしめるとじんわり甘味が広がってくる。

「コーヒーに謎の豆がついてくる」ことに違和感を覚えつつ、その存在を認めた瞬間であった。

このことがあって以来、僕はコメダを豆の店と認識するようになった。コメダの看板を見るだけで、口の中が豆の味になる。

そして時は過ぎ、コメダの常連となり、豆がコーヒーについてくることに何の違和感も覚えなくなっていた今日。いつものように入店し、「たっぷりミルクコーヒー」を頼んだ。

店員さん「お待たせしましたー」

おお、コーヒーが運ばれてきたぞ。この「たっぷり」シリーズは量がたくさん入ってるから長居する時にいいんだよな…………あれ?

なんと、コーヒーのみ運ばれてきて、謎の小袋の提供がないではないか!!!

どうしよう!

僕はパニックになった。

豆はコーヒーと一緒にくるのが当然だと認識していたため、運ばれてこない状況を寸分も思い描いていなかった。豆がないことに気づいた時、反射的に「あれ?豆はないんですか?」とでも、いや、「あれ?」みたいにちょっとでも違和感を醸し出すことができたら店員さんも小袋がない事実に気づき、すぐに対応してくれただろう。これはひとえに、「かもしれない運転」の不足だ。悪い状況を予め予測することで、実際悪い状況になりかけた時に素早く回避行動ができる。僕は「豆が運ばれてこないかもしれない」という最悪の状況を全く想像できていなかった。

時間差で遅れて運ばれてくることに薄く期待したが、店員さんに新しい動きはない。自分の持ち場に戻り、もう落ち着いてしまっている。

僕はしばらく考えた。豆がないことを店員さんに伝えるべきなのか。わざわざ豆の提供だけのために店員さんを呼ぶのか!?どうしよう。こんな小袋のために人を動かすのは何かしのびないしな…

さらに、豆がありませんと伝えることで、僕が「めっちゃ豆を楽しみにしていた」と思われていたら、いてもたってもいられない。

店員さんどうしで、                        「ふふっ、あのお客さん、豆のためだけに呼んできたんだよ?」           
「ええー!?なにそれかわいい!そんな楽しみにしてたんだね!」            
…なんて会話がされるんじゃないだろうか…そしてこの日から僕のあだ名は「豆」になる。

そんなことを考えていたら、店員さんを呼ぶタイミングを逃し、結局豆を食べずに店を出た。

次は豆食べられますように。

自分の中の常識っていつの間にか変わってるもんですね。

#ノンフィクション #雑念 #ブログ #エッセイ #コメダ珈琲



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