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「あなたのために」は結局自分のためだしその努力は報われないことの方が多い。

努力とは。


「努力 とは」と検索をする。
努力(どりょく)とは、目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること。
らしい。Wikipediaに書いてあった。

じゃあ私、ただいま努力の真っ最中です。
胸を張って言える。
子どもを育てるために、心を、身体をすり減らして毎日毎日つとめている。


「努力は必ず報われる」
昔はよく言われていたと思う。
最近は全然聞かない。そういう時代なのかも。

努力が報われたことがあるかと聞かれたら、私は「はい」と言える側の人間だ。
しかし、努力は報われるのかと聞かれたらなんとも言えない。

誰のために、誰が行動をして、誰が結果を出すのか。

この「誰」が誰なのかが、報われるか報われないかの鍵になるのではないかと考える。


私の経験からすると、自分のために自分がして自分で結果を出すタイプの努力は比較的報われやすい。

私の場合は受験だ。
行きたい学校があって、そのために勉強をして、合格した。
目標を自分で立てて、自分で勉強をして、自分で結果を出した。
全部自分のために自分でやった。
結果、努力は無事報われた。
そもそも努力できる環境があったからとか自分の力だけではないとかそういう話は置いておいてほしい。

私の努力は報われたのだ。

泣いて、倒れて、諦めないで、努力し続けた結果、報われた!!!
夢は叶う!!!努力万歳!!!一生努力し続けます!!!!



こうなってくると自分は運命を変える力があるすごい人間なのだと勘違いしていく。


学生の頃お付き合いしている人がいた。
好きだったし、楽しかった。
でも留年していた。
私は寝坊する彼を起こした。
怒った。泣いた。
お金を貸したり、浮気を許したりした。

「誰のために、誰が行動をして、誰が結果を出すのか。」
上記のこれに当てはめてみよう。


彼のために、私が行動をして、彼が結果を出す。

否、これは間違っている。

私は彼のために精一杯努力をした。

つもりだった。
けれど、結局は好きでいてほしかっただけで自分のためだったなぁと省みる。
努力の押し付けだ。訂正する。

私のために、私が行動をして、彼が結果を出す。

全て私が勝手にやったことだった。
彼がどんな結果を出そうが彼の自由だ。

私に人を変える力はない。
そう気付いたのはごく最近のこと。



そして今、私は努力の真っ最中だとはじめに書いた。

育児はきっと、こちらの努力が報われない場合が多い。
まだ寝返りもしない、おっぱいしか飲まない生後4ヶ月の今でもそう思うことがあるのだ。
動きが活発になる、離乳食が始まる、自我が出てきたり、歳を重ねて選択肢が増えれば増えるほどこちらの努力は追いつかないだろう。

自分自身が親の努力・期待に応えられたかというとどうだろう。
ヒュッと喉が狭くなる。
待ってくれ、やめてくれ、子どもは親の通知表じゃない。
お父さんとお母さんは精一杯の努力もお金も惜しまなかった。
その結果、犯罪はしないが良いところもない29歳児がここにいる。

この努力は誰のために?
子どものために。
ああなって欲しい、こうなって欲しい。
無限に出てくる理想の、私の子ども。

いや、そうじゃない。自分のためだ。
自分が勝手に心を、身体を、すり減らして尽くしているのだ。

そう言い聞かせてみても、いつか本音が出てしまうのではないか。

「あなたのためを思ってやってきたのに」

(どうして思い通りに育たないの?)



いつか忘れてしまうのだろうか。
産まれてきてくれただけで嬉しかったこと。
同じような写真を何枚も何枚も撮ったこと。
私が背を向けただけで泣いてしまうこと。
握り返してくる熱く湿った手。
見つめ返してくる真っ直ぐな瞳。
文字にしただけで涙が出ることを
忘れてしまうのだろうか。

いつかの私はちゃんと、「生きてるだけでいい」と言えるのだろうか。



「あなたのために」は私のためで、その努力は報われないかもしれない。

報われなかった努力も無駄な努力ではなかったと。
むしろ努力なんかじゃなくてただの愛情だったんじゃないかなとか、カッコつけていってやりたい。

でもこの期に及んで言ってしまう。
いつか努力が報われますように。


おわり

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