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「やれば出来る子」というおまじない


「あなたはやれば出来る子だから」
と、何度も何度も言われて
「私はやれば出来る子だから」
と、何度も何度も言い聞かせた。

「やれば出来る子」は私を奮い立たせるおまじない。
私を追い詰めるお呪い。


私は恐らく、何かしらの特性を持って生まれていたのだろう。
靴の左右をよく間違えて履いていたし、ピアノはいつまで経っても楽譜を読めなかった。
給食当番ではボーッとしすぎてよそった汁物を床にこぼしていた。
かけっこで負けてもヘラヘラして悔しくなんてなかった。

私の親はそれを責めなかった。

「やれば出来るんだよね。」
優しい顔でそう言ってくれた。
その言葉は私に言っていたのか、お母さんが自分に言い聞かせていたのか。
今考えると後者なのだろうと思う。

そこそこ大きくなって、やらなきゃいけない事が増えていった。
中学2年生の夏、模試を受けた。
偏差値は45だった。

お母さんは絶望していた。
私はその数字の意味がよくわからなかった。


家庭教師をつけてもらったけど、ハマらなかった。
塾に行くことになった。

「やれば出来る子なんだから」
と言われ、机に向かった。
成績は伸びていった。

中学3年生になり、本格的な受験勉強が始まった。
伸び悩む時期が来る。
「あんたはやれば出来る子」
と言われて、普通の授業に加えて個別の授業を2つプラスされた。
毎日塾に通って、夜10時近くの電車で帰る。
ある日帰ろうとしたらフラフラして、ああ気持ち悪い、ダメだ、と、ついに倒れてしまった。

それでも私の受験は続く。
「あんたは出来る子なんだから」
変わらないペースで毎日をこなしていった。


やれば出来る子のはずなのに滑り止めの高校に落ちた。
「志望校を変えた方が...」と学校から電話がかかってくる。
でも私はやれば出来る子だから、志望校は変えなかった。

周りの人はみんな、私が落ちるとしか思っていなかったらしい。
しかし私はやれば出来る子だから、世界中で1人だけ、合格すると思っていた。

みんなの予想は大きく外れ、私は合格した。
合格発表を見た時、嬉しかったけど感動はしなかった。
私はやれば出来る子だから、合格するのは当たり前だった。



「あんたはやれば出来る子だもんね!」
お母さんは嬉しそうだった。

そう、私はやれば出来る子。
私は、人の2倍も3倍も努力しないといけない子。



「やれば出来る子」という勲章は、「出来ない子」のレッテルだった。
私は早めに気付いていた。



このダメな子が、どうにかまともになってほしいという母の願い。
みんなに失望されたくないという私の願い。
それが「やれば出来る子」というおまじない。


大人になっても苦しめられる
「やれば出来る子」というお呪い。


おわり

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