見出し画像

ストロングゼログラビティ研究③〜自由論からの発見

第3章
自由論からの発見
2018年9月17日のnote「夜会考・パブリックスペース研究と自由論」より抜粋と加筆



2018年の夏が終わりつつある八月の末、東京はまだ蒸し暑さが続いていたが、時折乾いた風も吹き始め、もう少し涼しい感じで過ごせたら尚良しというような気候にさしかかっていた。
私は一通り夏の行事を終え、そちらはひと段落していたが、おおがきさんとの研究及び夜会は、さらなる熱を持って活発に継続していた。
研究者としての飽くなき探求心、研究者魂が我々をかき立て、翌日どんなに朝が早くとも寝る間を惜しんで夜会に費やしていた。 
私が大阪にいた頃は、よく2人でパブリックスペースを探し求め、街中に絶妙な場所を見つけてはそこで夜会を行っていたが、私が東京に引越してからは、夜会はインターネット空間に移り変わり、主にLINE通話によるものになっていた。 

余談だが、パブリックスペース探しの多くは自転車で行っていた。
当時の私は金銭的な理由により、なかなか自転車を買えないでいたが、それをいつもおおがきさんは「早く自転車を買った方がいいよ!単純に行動範囲が広がるし、自転車で行ける距離にお金を払って移動するっていうのも馬鹿らしいよ! お金っていうのもエネルギーの単位な訳だから! 」とよくアドバイスしてくれたものである。
しかし、当時の自分は身の丈に合っていない家賃のアパート(55000円、共益費込み)に暮らしており、カンフー教室と整骨院のアルバイトでは自転車を買う余裕は無かった。
しかし、お互いの職場である整骨院の院長(50代女性)がおおがきさんは自転車に乗り、私はそれにボクサーのように走って付いて行きながら帰る後ろ姿を見かねてか、「南ちゃん〜自転車を買ってあげるわ〜」と言ってくれたのであった。
この院長は割と日々何を言っているのかわからない女性であったが、その日ばかりは院長に感謝した。
「え!いいんですか?」と聞くと「全然!うちはそういう会社です!今週闇で800万稼いだから大丈夫なのよ。南ちゃんにもいつかグレードの違う稼ぎ方教えてあげるわ!」
とよくわからない答えが返ってきた。
そういう会社って何なのか?闇でって何なのか? グレードの違うって何なのか?
院長はいつも何と戦っているのか、何の見栄なのか、思いつきでいつも訳の分からない嘘をつき、ツッコミはじめたらキリが無いので、院長への対応は全て太極拳や合気道、古武術などのように深く考えず、水の如く受け流すことを私は先輩のおおがきさんから度々学んでいた。
おおがきさんは横で「ここは大人しくもらっといた方がいい」と言わんばかりに、黙ってゆっくり頷いていた。
なので、私は「わーありがとうございますやばいですね」と答えたのだった。
一瞬で感情が激しく変化する院長なので、内心ヒヤヒヤしながら答えたが、院長は少し間を置いてから「そうなの!私やばいのよ!」と割とまあまあの声量で嬉しそうに答えてくれたのだった。
この院長に関しては沢山のエピソードがあり、壮大なドラマがあり、全て書くにはまだ整理ができていないので、それはそれでまたの機会にしっかりと発表したいと思っている。 
兎に角、私は晴れて念願の折りたたみ自転車を手に入れたのであった。
自転車を手に入れた時は本当に嬉しかった。
整骨院の仕事が終わるとおおがきさんは大きめのママチャリ、私は折りたたみ自転車、それぞれの愛車に乗ってパブリックスペース探しに出発したのだった。
私は感動していた。
当たり前であるがスピードが全然違うのだ。
徒歩では考えられなかったスピードと移動距離、我々は大阪の街を疾走していった。 

「当たり前ですが全然違いますね!」
自転車を飛ばしながら並走しているおおがきさんに言った。
すると、おおがきさんは自転車を漕ぎながら誇らしげに言ったのだった。 





「南君!これが農耕民族から狩猟採集民族に生まれ変わった瞬間だよ!」 






私はこの名言が発せられた瞬間を今でも覚えている。パブリックスペース研究(及び夜会)の果てには「どうやら思っても見なかった言葉を聞く、または自らがそれを発することになる」ということを知った瞬間である。
私は感動のあまり電柱にぶつかりそうになった。 
「なるほど! いつもの街でも感覚が全然違いますね!」
「そういうことだね! 農耕民族、狩猟採集民族、そして遊牧の民、いつもの視点と少し変わるだけで見えるレイヤーも変わってくるからね」
「自転車1つでまるで変わりますね!」
「だから言ったんだよ!早く自転車ゲットしないとって。自転車1つで500年ぐらい進化するわけだから!」
いつもは職場である整骨院と私の自宅のある北区周辺のパブリックスペースを巡回していたのだが、その日ばかりは急に広がった自らの行動範囲に歓喜して、気がつくと旭区まで羽を伸ばしていた。 
「ほら!馬があればもう一瞬で旭区なんだよ!」
「イキのいい新馬はめっちゃ快適ですわ!」
「あはははははは」
「ははははははは」 
傍から見れば、仕事帰りの30代が二人、何を狂喜乱舞して自転車をすっ飛ばしているのだと思ったかも知れない。
しかし、我々の研究は「皆が言う常識だからと認識し、それをそのまま信じていることにも何かあるかも知れない」、「人が見過ごしたからといって、自分もそれを見過ごして良い訳ではない」、そして「生きるとは何か?」、「世界とは何なのか?」という究極のテーマに向き合ったものである。
そして、日々の生活の中でも、ちょっとしたレイヤーやチャンネルの違いなどによって現れる、豊かで壮大な世界の奥行きを発見していくことも、研究においての大切な理念の一つとしている。
元来、このような研究の積み重ねは「知恵」として価値を持っていたはずである。
貨幣とは知恵の代替品であるのかも知れない。
2011年の大震災の時、私は震災のショックと共に自分の知恵の無さに愕然とした。
自分には知恵と呼べるものがほとんど無かった。
生き延びていく上で大事なことは、これまで疑うこともなく自らのルールにしてきた世間の常識でも、価値の最高峰であると信じられている貨幣でもなく、「知恵」だと思った。 

もちろん、お金を稼ぐことや使うことも知恵の一つである。
我々は知らずに、知恵にお金を使っている。
お金で知恵を買っているのである。
しかし、全ての知恵をお金で買わなければならない訳ではないし、買わなくてもいい知恵もある。
知恵を見つめ直すことが、我々の研究である。 

あの夜、結局自転車で2時間近く走り回った我々は、北区と都島区の国境付近に良い感じのパブリックスペースを見つけ(団地のゴミ捨て場)、そこでセブンイレブンのコーヒーを飲んだ。そして感動した。
(セブンイレブンコーヒーもパブリックスペースに小さな革命をもたらした。その辺の喫茶店よりうまいコーヒーが100円で飲めるのである。)
コーヒーに感動しながら夜会をした後、それぞれの自宅へそれぞれの愛馬に跨り帰ったのであった。 

余談が長くなってしまったが、我々は自転車の夕暮れから数年経った現在も、研究に対する姿勢を変えることなく、夜会での試行錯誤と発見、そしてまた試行錯誤というのを繰り返していた。 




さて、数日前の夜会で「お江戸倶楽部」そして「お江戸には『お』がついている」という大発見をした我々は、その発見の瞬間を思い出し、互いに褒め称えあっていた。

「いやー、この前は大発見でしたね~!」
「いやー、すごかった!あれこそこそ録音しとけばよかったね~」
「お江戸倶楽部も早速やらなきゃいかんですね~」
「そうだね。早くやらないとサッチモスとかお洒落な人達に先にやられちゃうからね」 

「お江戸倶楽部」は東京に対応しきれていない、もしくは東京に対応したつもりで騙し騙し生活している人間にとっての救済になると思う。
田舎者は開き直らなければならない。無理して今まで見てきた世界と違うルールで戦う必要はない。田舎の比ではないバカ高い競争率の東京CITYでは、その過酷な戦いに敗れた者達には皆無残であり誰も助けてはくれず、果てには孤独に死んでいく未来が待っているのである。
つまり、東京という都市は、人口密度が馬鹿高い割に、その偏ったルールに対応出来ない者達にとってめちゃくちゃ生きにくい構造になっているのである!
よって田舎者は「江戸へ留学に来てます」というていで、東京にいながら、東京をスルーしてみる。そして肝心なのは、東京をスルーしながら、それは東京そのものを否定し対立するものではないスタンス。
東京の失われつつあるオリジン、江戸に生きるということである。
つまり江戸原理生活である。 


「いやー、しかしフランスに勝てねーじゃねーかって話が、尊敬の『お』問題になってたとは思わなかったねー。やっぱり研究してみないとわからないものだねー」
「ほんとにそうですねー、いろいろ研究しないといかんですねー」
「先入観とか、誰かに習ったままとかの認識で、なにもかもスルーしちゃってるのかもねー」
「パブリックスペースも、ぱっと見だけでその土地を判断してたら、そのままでスルーしちゃいますからね」
「パブリックスペースもそうだし、プライベートな内的世界とかも、どこまで自分で確認してきたかわからんねー」 

パブリックとプライベート。
個人の自由とは何か。
共存とは何か。
パブリックスペースの問題は人間が集団で生きる動物である以上、我々の上に常に存在している。 

「そういえば、大阪のパブリックスペースで夜会やってた時もさあ、知らないおばさんが『自分の自転車のカゴに犬のうんこが入ったビニール袋を捨てられてた』って嘆きながらそのビニールを俺の目の前に投げ捨ててきたじゃない…。パブリックスペースでの被害者が瞬時に加害者になってしまうこともあるからね…」
「たしかにあのおばさんには、嘘でもいいからあのビニール袋の中身がうんこってことは隠しといてほしかったですよね」
「優しいパブリックの嘘ってあるよね」 

「パブリックスペースでは他人の迷惑になっちゃいかん、という我々のルールがありますが、行政とかがわざわざ駅ビルとかに作ったパブリックスペースは、ルールだらけて絶対違いますからね」
「そうだね。日本ではパブリックなスペースは、多数にとってのいい感じを維持するためのルールでガチガチにしちゃうからね」
「個人が快適にくつろげる空間と、他人のそれとを両立できるパブリックでの絶妙なバランスって難しいんでしょうかね」
「少数派の意見をひらうより、日本人は他人様に恥ずかしいことはよろしくないっていう大き目のルールあるからねー」
「パブリックスペースを作り出せないんでしょうね…」 

そしておおがきさんは言った。
「実はパブリックスペースの研究をする前から個人的にずっとやっていた研究があるんだ」
「ほう!それは興味深いです」
「自由論についてなんだよ。自由論についてはいろんな人がやたらと本を書いてるんだけど、パブリックスペースの研究も、結局は自由論に行き着くと思うんだよね」
「なるほど!」 


※ジョン・スチュワート・ミルによって書かれた『自由論』 


私は自由論に関する書籍を読んだことが無いので、これは自由論についてちゃんと研究しなければならないなと反省した。
ミル氏の自由論。それには「個人の自由を妨げる権力が正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の個人的な行為については必ず保障される。」という我々のパブリックスペース研究の基礎理念に近いものが書かれている。
パブリックスペースの研究とは自由論の延長上に存在しているのである。 

「いやー、自由論に関する本もめちゃくちゃあるから、これはかなり時間がかかる研究なんだけど…パブリックの問題とかを研究してても、結局みんな自由論に行き着いてるみたいなんだよね」
「なるほど。自由論の研究の一部にパブリックスペースの研究があると」
「そうなんだよね。パブリックスペースの研究は、街の一部分で展開される自由論の実験でもあるよね」
「自由論の研究…僕もこれは取り掛からないといかんですね…」 

まさに、パブリックとプライベート、個人の自由とは何か、共存とは何か、という我々の研究テーマそのものであった。おおがきさんが、かなり前からそんな大仕事に一人で取り掛かっていたとは、ただただ頭が下がる思いであった。
その瞬間、私は雷に打たれたような新発見をしたのであった。
まさに晴天の霹靂であった。
「おおがきさん、今発見したんですが…」
気温は多少落ち着いてきたとは言え、日付は8月30日であり、まだまだ蒸し暑い夏後半である。
私は急に大量の汗をかきながら恐る恐る新発見を口にした。 






「これこそが、自由研究だったんですね」 






一瞬の沈黙の後、おおがきさんは言った。
「やっばっ!!」
私も声を大にして言った。
「やっばっ!!」
我々は自由研究の発見に慌てふためき、そして狂喜乱舞していた。
「南君!これはやばいよ!学生で終わった思ってたけど、ずっと続いてたんだよ夏休みの自由研究は!」
「自由に研究するっていうことがそのまま続いてるんですよ!」
「いやー!そうだったのか!自由に研究してくださいは夏休みで終わってなかったんだ!」
「そして自由を研究してるんですよ!自由の研究を自由研究してるんですよ!」
「これは全部納得できるよ!誰にでも当てはまるよ!」
「自由研究がまだまだ続いてることに誰も気づかずに生活してますからね!」
「気づいてよかった!ありがとう南君!」
「あなたの自由研究は何ですか?ってことですよね!」
「パチンコ依存症の人も『パチンコに人生捧げたらどうなるか』っていう自由研究してる訳だから、全部納得できるよ!」
「人生は全て自由研究であると自覚しなければならないですね」 

想定外の大発見に恐怖すら覚えるほどであった。
おおがきさんは大発見に興奮したまま言った。 
「平成最後の夏の終わりに自由研究を発見するなんて、どんだけお洒落なんだよ!」
「いやー、これお洒落過ぎますよね、サチモスどころじゃないですね!」
「どころじゃないよ!サッチモスだってCOOLでお洒落なミュージックにライフを捧げたらどうなるかっていう自由研究してることには気づいてないんだから!」 

平成最後の夏の終わりに、我々は終わらない自由研究を発見した。
これからも時は過ぎ行き、時代は進んでいくであろう。
新しい時代に見えた平成も過去に変わり、新時代はやって来る。
しかし、我々は平成の最後に自由研究を発見したのだった。 

全ては自由研究なのである。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?