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ストロングゼログラビティ研究②〜フランス問題に見る『お』の消失とその発見

第2章
フランス問題に見る『お』の消失とその発見


「パブリックスペース研究」とは、簡単に言うと、すべての街に存在する「街の隙間の誰のものでも無い絶妙に居心地の良い場所」を発掘し、そこでお茶(日によっては飲酒)をしたりし、その存在について考えていく行為である。 

外で飲食してもいいのは「花見シーズンの決められた場所のみ」と決まっている訳ではなく、「誰の迷惑にもならない『よかったらあなたもどうぞ』というような場所が街中にあるはずだ」という、祈りにも似たマインドから生じた研究である。 

それは、「時給約1000円の我々が、ちょっと友人と話したり休憩したり酒飲んだりするだけで、何千円も使ってられるか」という我々のストロングなマインドでもあった。
さらに簡単に言うと「探せばお金をかけずにゆっくりできる場所が街中にあるよ」ということである。 

そして、パブリックスペースでの会話を我々は「夜会」と呼んだ。 

そこでは「何を話すのか」「その会話から何が生まれるのか」ということが重要であり、そこでの会話の果てに、お互いが1人では辿り着けなかった未知のイメージに行き着くことを目指し、夜会を開いていた。
そして、我々は夜会での会話を(恥ずかしながら)ジャズだと認識し「セッション」と呼んだりもしている。(他人に説明するのが恥ずかしいので近々改名予定) 

2017年に私は東京へ引越したので、それ以降はLINE通話にて夜会を開催していた。
東京に住んで半年以上経った時、こんな発見があった。 

おおがきさんは鍼灸師あん摩マッサージ指圧師になる前、20代のほとんどをバックパッカーとして世界中を旅して回っており、その経験から様々な発見をしている。
その日、いろいろな世間話をした後、おおがきさんは「いやー、外国を回ってた頃から薄々気づいてたんだけどね……フランス人には勝てんわ」と切り出した。
「芸術、建築、社会制度、教育とか経済とかいろんなシステム、ついにはワールドカップまで勝ってさあ」
と続けたのである。
丁度2018年サッカーワールドカップでフランスが優勝したばかりの時期だった。 

つまり、おおがきさんが口火を切ったのは「結局フランス人が勝つ、及び大概日本人は勝てない問題」である。
私は急に始まったフランス問題の早く続きが聞きたくて、
「芸術家に対してもですが社会の姿勢が日本とはまるで違いますからね」
と慌てて答えた。
「そうなんだよ!何でもフランス人が上なんだよ。戦争も芸術もサッカーも。全部上をいってるんだよ昔から!日本人は憧れてるんだよ!」
「なるほど!日本人は昔から、おフランスって言ってますからね!」
「そうだね!「お」をつけるほどリスペクトしてたんだろうね、おアメリカとかおイギリスは言わないもんね」
「おフランスって呼んでる時点で丸腰で負けてますよね」
「本当だよ!」
「いやー、おフランス行ってみたいですけどね、もう東京の家引き払って行ったろかなとか時々考えますよ」
「駄目だよ!南君はもう少し東京で頑張らんと、まだ何もやってないないわけだからね」
「何でしょう、金もかかるし、、存在するだけで金がやたらかかるってどうなんですかね」
「それは僕ら地方出身者にとっては不利に思えるかもね、、地元が東京で、東京で生活するためにプラスで頑張らなくてもいい人たちは、スッとうまいこといけるように見えるもんね」
「そうなんですよ!単純に家賃を稼がないでいいし、その分のお金も時間もあるとなると、落ち着いて好きなことできますからね」
「ほら、例えばミュージシャンとかが「クールでお洒落なアーティスト」って感じでやっても、最初から東京に生まれ育ってる人の方が元々都会的で、頑張ってる感が無くてお洒落だもんね、どんだけお洒落な感じにしても、必死さがどうしても拭えない地方出身者には分が悪いよね」
私はおおがきさんの話を聞くにつれ、徐々に落ち込んでいった。
この元も子もない希望の無さに、頭の中で北の国からの純(吉岡秀隆さん)が「おおがきさんの言う通りだった……」と薄暗くつぶやいているようだった。
「いやー…まさにそうなんですよね……どうしたらいいんですかね………」
「たしかに東京のルールで東京の人と戦ってもなかなか勝てんよね、、でもだからってそこをディスってもどうにもならないというか、、まず東京へのリスペクトも忘れてはダメだよね、、こっちから東京へ行ってるわけだからね、、となると…」
おおがきさんは言った。
「山の手言葉とか使い始めたらいいんじゃないかな」
「どういうことですか?」
「ほら、東京じゃなくて江戸から学ばせてもらってますというか」
「御免あそばせ、とか使うんですか?」
「そうだ!そうなんだよ!私は江戸からやらせてもらってますみたいな!江戸で勝負すればいいんだよ」
「なるほど、もうビルが立ち並んでそこから富士山見えなくても富士見橋とか書いてたら富士山を見上げると」
「そうそう!東京では、今の東京ルールで勝負する人は山ほどいるわけだから、で結局サッチモスとかスプツニ子が勝つ訳だから」
「こっちは江戸からやらせてもらってますんでよろしくと」
「そうだよ!これで南君の一人勝ちだよ!これで東京レペゼンのラッパーがフリースタイルしてきても…」
「それで蕎麦が美味くなンのかい?」
「もうマスターしてるじゃないか!」
「あははははははは!」
「あっはははははは!」
私は自分の江戸っ子の習得の早さを我ながら誇らしく思った。(I'm proud) 

「南君、江戸を学びに江戸へ留学しに来てますって言ってた方が潔いかもね、みんなが背伸びして東京ルールでやってる間に、こちとら江戸への留学生ですけどなんですか?みたいな」
「NINJAって書いてるTシャツとか着るべきですかね」
「いいね!東京についてはよくわかりませんが、お江戸に留学してきましたと、ご免遊ばせと」
「そしたら東京の景色もやたら楽しいですね」
「これは、東京で迷ってる人を集めて団体にした方がいいんじゃかいかな、ほら都会の孤独に悩んでる若者とかも仲間に入れて…あんなのも江戸を知らないまま東京だけでやろうとするからだよ」
「いやいや、あなた悩んでるけどここはお江戸ですよ!と」
「それで江戸に詳しい年配の人も会員になってもらって、色々教われば江戸に詳くなるし、ご隠居さんみたいなのも見つかるし、一石二鳥じゃん」
「いいですね!全員が24時間ブラタモリという」
「これは、組織に名前がいるよね……何か粋な団体名……「お江戸倶楽部」とかどう?」
「お江戸倶楽部!絶妙にダサくていいですね!」
「お店を始める人とかも、皆一回は考えるかもしれないけど、誰も言ってないんじゃないかなお江戸倶楽部」
「めっちゃいいですね!古いピンサロとかにありそうですが、これシンプルにど真ん中過ぎて無いんじゃないですかねお江戸倶楽部!」
調べてみると東京にお江戸倶楽部というのは、渋谷に和風コスプレ写真館一軒だけしかなかった。
つまり「東京都 お江戸倶楽部」と手紙を出せば写真館か私の所のどちらかに届くのである。
急に東京での生活に明るい未来を感じた。おおがきさんもこれ以上無いであろうベストな命名に誇らしそうであった。
そして、2011年の震災以降、「東京へは行かない」と決めていたおおがきさんであるが、「これは東京行ってもいいかもって思えてきたよ」と、この「お江戸倶楽部」の発明によりマインドが揺らぎ始めたことを告白するまでになっていた。
そこで私は雷に撃たれたような重大な発見をしたのだった。

「おおがきさん!これまさかとは思いましたが……」
私はやや緊張しながら続けた。





「お江戸、、『お』がついてますよ」 






この新発見に私もおおがきさんも正気でいるのがやっとであった。
それはまさに、博士と助手が長い月日顕微鏡と試験管を見つめ続けた先に新発見をしたような瞬間であり、これが度々訪れるのが夜会の醍醐味である。
「元々リスペクトの『お』がついてたんだよ日本には!お江戸なんだよ!おっかさん!」
「御維新そして敗戦で完全に『お』を外されて、『お』は後から入ってきた先進国に取って代わってたんですね」
「すり替えられてるんだよ!『お』をつけて良いのはフランスですよって。おフランスと戦えるのお江戸しかないわ!『お』を外されてる東京じゃ絶対勝てないわ!」
「だって『お』が無いですからね!」
「そうだ!  東京は『お』を失ったままだったんだよ!そりゃフランス圧勝だわ!だって『お』がついてんだもん!」
お江戸倶楽部の発足と、『お』の有無の大発見に我々はお互いの健闘を称え合い、その日の夜会は終了したのだった。 

そしてその発見の一ヶ月後、私たちの夜会が埼玉のFMラジオ「ご近所さんの気楽なステージ」という番組内で放送され、ここで初めて「第三者が聴いている状態の夜会」に進化したのであった。 

私はいつもの夜会の空気感が、そのままラジオの電波に乗ったことがとても嬉しかったのだが、放送を聞いたおおがきさんは「あれはいかんよ。ストロングゼロ飲み過ぎて僕の話は無茶苦茶やないか」と言っていた。 

後の研究に大きく関わってくるストロングゼロの登場はここらである。 

その当時の私のブログから引用すると、 

"しかし、おおがきさんから「CMの話でも来てるのかな」と思うほどストロングゼロという単語をやたら聞くが、「チューハイ」ではなく「ストロングゼロ」と商品名をはっきり言うあたり深いこだわりがあるか、大人の事情があるのだろう。
実際にストロングゼロと何度も聞いたらやたらとストロングゼロが飲みたくなり、生涯初めてストロングゼロの購入をして、一人飲みながらおおがきさんの回(ラジオ出演時の回)を聞いたらやたらストロングゼロ美味しかった。
発明の味、ストロングゼロ。
お江戸の嗜み、ストロングゼロ。" 

と記述されている。
私はそれまであまりストロングゼロを飲んだことがなかったのだが、ここからストロングゼロと共に、研究は急速に加速していくことになるのである。 

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