Soup noodle cuisine 373/Bar Minaminho/ラーメンミナミ

ラーメン屋辞めました。 現在店舗のないスープヌードルキュイジーヌ屋です。 告知等はIn…

Soup noodle cuisine 373/Bar Minaminho/ラーメンミナミ

ラーメン屋辞めました。 現在店舗のないスープヌードルキュイジーヌ屋です。 告知等はInstagramにて。 独立して20年かぁ… 思えば遠くにきたもんだ。

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Soup Noodle Cuisine考

次の俺の店は絶対に凄いことになる。 信じている…というよりは、それは当たり前に予定されていることのように思えてくる。 それは行列店になる とか 常に満席 とか そんな簡単な意味ではなく、ある意味世界に影響を及ぼす存在になるんだろうなぁ…俺の店と… Soup Noodle Cuisine は… と根拠もなく考えている。 それは一体どんな状況なんだろうか? それは俺にもわからない。 でもきっと凄いことになる。 それだけは今の段階から言っておく。 Soup

    • 俺は料理人?クリエイター?アーティスト?アクティビスト??肩書きについて考えてみた。

      『ラーメン屋辞めました宣言』 から 『Soup Noodle Cuisine宣言』 この他者には伝わりにくい宣言をしてから、自分のことを 【ラーメン屋】 と名乗ったことは一度もない。 周りの人が 「ラーメン屋の南さん」 と誰かに紹介してくれるのは仕方がないとして、自分の肩書きを『ラーメン屋』とは言ったことがないし、自分が作る料理も『ラーメン』とは一切名乗っていない。 soup noodle cuisine(スープヌードルキュイジーヌ)という聞き慣れない言葉だ

      • 俺なりのPerfect Daysを

        先日、少し年上の友人女性ととある喫茶店で対話をしていた。 対話のテーマは淋しさや孤独だった。 淋しさや孤独を感じるタイミングであったり、その感じ方の深さは人それぞれだ。 人によっては全く平気なことが、とある人にとっては耐えがたいほどに辛い…そういうことはままある。 誰かにいてほしい。 温もりがほしい。 どうにもやりきれない。 優しくしてほしい。 そんな感情が湧いてくるのは、俺みたいな独身で個人事業主という極めて社会性の低い立場の人間だけではないだろう。 家族を持

        • 飲食業こそもっと社会的なメッセージを発信するべきだと思う。

          このnoteを読んでくれている人ならもうわかってくれていることを前提に話すけど、俺は自分のことをラーメン屋だとは思っていない。 もっと言うと『料理人』とも思っていない。 自分のことを特定のジャンルにカテゴライズしたくない。 「いや、あんさん食べ物作ってますやん。しかもラーメンによう似てますやん」 と言われると思うけど、俺はただただ表現活動をして生きていきたいと子供の頃から考え続けて、たまたまラーメン屋という職業に出会い、この仕事を続けた結果… 「俺はラーメン屋に当て

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        • Poeta. Minaminho
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        • 自由と逃走
          5本
        • Soup Noodle Cuisine 考
          3本
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          やっぱ俺はラーメン屋ではない。〜続・ラーメン屋辞めました宣言〜

          何度も何度もこのnoteでも各SNSでも書いてきたけど、俺は『ラーメン屋辞めます宣言』をして自らの料理を『スープヌードルキュイジーヌ』と定義した。 そしてそれは正しかったんだなぁ…と思うのと同時に、スープヌードルキュイジーヌとはなんぞや?という当たり前の課題にもぶつかっている。 再会先日、本屋で立ち読みをしていたらとある女性に声をかけていただけた。 「南さんですよね。応援しています」 時々こうしてお声をかけてもらえることがあるのだが、店を閉めて2年半も経つのによく覚え

          やっぱ俺はラーメン屋ではない。〜続・ラーメン屋辞めました宣言〜

          清貧?え?俺が?

          世の中とはなんとも無常なものだ。 この感覚を俺は幼少期から 『生きていることが虚しい』 と独自に変換してしまい「何もかもがバカバカしいぜ」とヤケのヤンパチみたいな生き方をしてきた割には自尊心が強く、「己がただただ生きているために生きているなんて許せない!」と憤って生きてきた。 全くもって矛盾した男である。 もっと分かりやすく言うと… 誰かに生きている意味とは? と問われると 「そんなもんどこにもないよ。生きている意味が欲しければ自分で見つけな」 とニヒリズム

          Poeta Minaminho

          詩を書くという行為は(読むという行為も)時代に合わなくなってきているのだろう。 今ここに一皿の料理が運ばれてくる。 給仕はなにやら聞いたことのない言葉で料理名を告げた。 音も立てずに猫の尻尾が愛おしい人の頬を撫でるように目の前に置かれた皿からは湯気と香りがたちのぼる。 私は目の前のパートナーと視線を合わせて無言で語り合った。 彼女は 「そうね、わかるよ」 と視線で語り 「うん、あれだね」 と俺は視線で返した。 俺は幼い日に急な川の流れに足を取られた日のこと

          死を想う

          俺は時々、自分は永遠の命を授かっているのではないかと錯覚を起こす。 今日という日がこれからも未来永劫続くのではないかと甘ったれた妄想に耽ることがある。 しかしこれは妄想なのだろうか? はたまた錯覚なのだろうか? もしかしたら、現実ではないのだろうか? 【死】とは何を意味するのだろうか? 子供の頃から【死】を意識して生きてきたのだが、またここにきて【死】というものを再び考えさせられるイベントに参加してきた。 今回の投稿はイベントのそのレポート…というよりも、そのイベ

          自由と逃走 5

          何から逃げ出そうとしていたのだろう? その『何か』がわからないまま逃げ出そうとしていた。 しかし『逃げてもいい』と自分に言い聞かせることができたら、身も心も軽くなれる気がした。 俺は過去に何度か現実から逃げ出した。 しかし逃げ出した先で自分でも予想もつかなかった出会いがあり、気がついたら想像もしていなかった未来が待っていた。 その挙げ句が今の素浪人のような状況なのだから、社会人としては褒められたものではないが、俺は逃げた結果、俺は俺でしかないという確固たる自己を獲得

          Soup Noodle Cuisine考 vol.3

          2年前に金澤流麺らーめん南を閉店した時に、石川県でトップのラーメン店である自家製麺のぼるさんと自家製麺テラさんが俺のためにお疲れ様会を開いてくれた。 ナチュラルな料理とワインが評判のイタリア料理店に出向いて、普段はお酒を飲まない2人もワインを楽しんでいた。 その時にのぼるさんが俺にこんなことを言ってくれた。 「南さんが石川県に現れてから、明らかに石川県のラーメン業界は変わった。価格帯もそうだし、独創的な限定麺を出す店も増えた。南さんが与えた影響はお客様よりも俺たち同業者

          Soup Noodle Cuisine 考 vol.2

          俺はラーメン屋ではない。 ラーメン屋は辞めた。 俺はスープヌードルキュイジーヌ屋だ。 しかし、何をもってスープヌードルキュイジーヌと言うのかは俺にもわかっていない。 そしてそれを決めるつもりもない。 スープヌードルキュイジーヌとは概念であり、スタイルではない。 その概念もまだまだ曖昧模糊な状態のままだ。 その答えは未来の若者が出してくれたらいいと考えている。 like a Super Star!「あんたは大器晩成やな」 これは幼い頃から母親に言われてきた言葉だ

          自由と逃走 4

          どうにも最近覇気がない。 病んでるとか凹んでるとかではなく、覇気がない。 生活が弛緩している。 ある友人が俺にこんなことを言った。 「大ちゃんは今はのんびりとしてなよ。どうせまた怒涛の日々が来るんだから」 またある友人はこんなことも言った 「大ちゃんは先読みをしすぎて考えすぎて行動をしないように見える」 どれも当たっているような気がする。 自分では今は動けない理由があると考えていて(ここでその理由をハッキリと書けないことも、少し辛い)、『動くべきではない』という判

          自由と逃走 3

          俺は再び本気で逃げようと考えた。 何から逃げようとしたのだろう? 冷静に考えてみれば逃げ出さなきゃいけないことなど何もない。 むしろ15年〜9年前の辻堂での日々や、つい2年前までの野々市市での日々の方が逃げ出したいくらいに辛いことばかりだった。 今はどちらかというと、平和だ。 俺のことを追い立てるものもいない。 命の危険を感じるような存在も出来事も起こらない。 過不足なく暮らしている。 これまでの経験と比べてみても格段に幸せなはずだった。 俺は何から逃げよう

          自由と逃走 2

          『逃げる』という言葉にはどうしても悲観的で否定的な意味合いを受け取ってしまう。 特に俺の様に体育会系で育ち、かなり気合いの入った先輩方も多数おられた環境で育つと 『逃げる=敗北』 という価値観がどうしても心の奥底にあるような気がしてならない。 そこで立ち止まって考えてみる… 俺、一体なにと戦ってるんだ? 敗北の意味 一昨年の9月に店を閉めた。 自分としては納得をして閉めたし、今振り返っても閉店するにはこれ以上ないタイミングだったと思う。 前向きな閉店をした…

          自由と逃走 1

          だいぶ長い間このNOTEを更新していなかった。 と言うのも店を閉めてからのご縁が重なって年明けに新しいプロジェクトのお話しをいただけたからだった。 当時はそのプロジェクトがすぐに動き出しそうな雰囲気だったので出張料理&ラーメンの予約を打ち切り、このプロジェクトに注力するために時間を空ける事にした。 そしてすぐにそのプロジェクトについて発表できると考えていたし、今頃はそのプロジェクトは動き出している腹つもりをしていたから、次のNOTEの投稿はそのプロジェクトについての文章

          2022年を振り返って

          店を閉めて一年が過ぎ、振り返る内容を書いておこうかと思ったのですが… どうにも書く気になれず… しかし店の再開を待ってくれている方が少なからずいるので、ちょっとじっくりと自分の胸の内を覗き込んでみたいと思います。 長い一年でした金澤流麺らーめん南は2021年9月25日に閉店したので、一年と少しが過ぎたのですが、僕にとっては3〜4年に匹敵するほどに長く感じる一年でした。 閉店の理由や再開への大きな壁については今はまだ公表すべきことではないので、その点を伝えられないのも少