俺は料理人?クリエイター?アーティスト?アクティビスト??肩書きについて考えてみた。
『ラーメン屋辞めました宣言』
から
『Soup Noodle Cuisine宣言』
この他者には伝わりにくい宣言をしてから、自分のことを
【ラーメン屋】
と名乗ったことは一度もない。
周りの人が
「ラーメン屋の南さん」
と誰かに紹介してくれるのは仕方がないとして、自分の肩書きを『ラーメン屋』とは言ったことがないし、自分が作る料理も『ラーメン』とは一切名乗っていない。
soup noodle cuisine(スープヌードルキュイジーヌ)という聞き慣れない言葉だからこそ伝わるものがあると信じている。
だが、そのスープヌードルキュイジーヌという言葉と概念を理解してもらうことは簡単ではない。
むしろめちゃくちゃ難しい。
だからこそわかってもらえた時の納得度は深いと思っているのだが、相手に理解を求める名前だからこそ俺はちゃんと自分でわかっている。
「こういう理解されにくいことをしているから俺は売れない」
ということを。
俺もバカではないからマーケティングやブランディングの大切さを知らないわけではない。
ならばなぜこうした分かりにくいことをしているのか?
それは俺がアーティストであるから、としか言いようがないとも考えている。
ならばアーティストとはどんな存在なのだろうか?
そもそも俺は料理人なのか?
『ラーメン屋』を名乗らなくなると、初対面の人に自分をなんと伝えていいのかに困る。
「ラーメン屋の南です」
と言っていた頃は楽でよかった。
しかし俺は自ら『ラーメン屋辞めます宣言』をした。
それは自分の信じた道を進むためだ、
だから絶対に「ラーメン屋の南です」とは名乗らない。
ならばなんで言おう?
そこで初対面の人に会う時にこういうようになった。
「料理人です」
ある意味これは間違いではない。
実際に人が食べるものを作ってお金をいただいているからだ。
そうすると次には必ずこんな質問が来る。
「なんのジャンルの料理を作っているのですか?和食ですか?フレンチとかの外国の料理ですか?」
ここで俺が
「スープヌードルキュイジーヌです」
と答えると、100%の確率で
「…えっと…はい?」
という戸惑いのリアクションが発生する。
そこからなぜスープヌードルキュイジーヌなのか?ということを語れる余裕があればいいのだが、全ての自己紹介の場面でそんなに時間の余裕がある場面は少ない。
語っている時間のない場面の方が多い。
その中で自分のことを簡潔に表現する肩書きが必要なのではないか?と考えるようになった。
そもそも自分のことを『料理人』だとはそれほど考えていない。
なぜなら…
魚を捌く、鶏を一匹捌く、肉を全て同じこと重量で切り分ける、野菜を全て均一の形で切り揃える…etcといった基本中の基本の料理人として技術が全くもって足りていないからだ。
ちなみに言うと調理師免許も持ってもいないし取る気もない。
肩書きって必要?
例えば名刺交換をするとする。
そこに◯◯商事社長とか◯◯株式会社CEOと書かれていたとする。
それはその人の肩書きだけではなく立場も紹介していることになる。
俺は今は店はしていないが、『店長』とか『料理長』という肩書きも立場を示している。
ではどんな仕事をする人なのか?ということを一言で伝える言葉というのは何に当てはまるのか?
以前に美術館の学芸員をしている友人とこんな会話をした。
南「俺、自分が料理人という自覚が薄くて、自分のことをアーティストだと認識している」
友人「あぁ、それはわかるね。でも美術界では自分のことをアーティストと名乗る人はいないんだよね。彫刻家とか画家、とか、自分が何を作っているかを名乗るんだよね」
それは小説家、詩人、批評家、などもきっとそうなのだろう。
確かに小説家の方が自分を
「私はアーティストです」
とは名乗らないもんな。
小説家の方が「私はアーティストです」と言ったとしたら、それを聞いた人は
「…まぁ、そうですよね。はい、知ってます」
とリアクションするしかない。
なぜ俺がアーティストだとわざわざ自分で言わないといけないかというと、自分の肩書きを表現するのにしっくりと当てはまる言葉がこの世の中に存在しないからだ。
だからもっとも分かりやすそうなところで
「アーティストです」
と名乗るしかない。
そして必ず返ってくる言葉が
「はい。で、なんのアーティストなんですか?」
…一周回ってまた元の位置に帰ってきた…。
クリエイターとアーティストは何が違うの?
8年前、石川県野々市にて金澤流麺らーめん南を開店した際、名刺を作ってくれたデザイナーの方が考えてくれた肩書きが
ラーメンクリエイター
だった。
当時は自分をラーメン屋だと考えていたからこの言葉は案外とすんなり自分の胸に落ちてきた。
納得していたのだ。
しかしなんとなく居心地の悪さも感じ始める。
クリエイターという言葉に引っかかったのだ。
では、クリエイターとアーティストは何が違うのか?
クリエイターもアーティストも何かを表現して仕事にしていることには変わりはない。
そこで自分なりに調べてみた。
クリエイターというのは『クリエイトする人』
つまり『創造をする人』
その創造は依頼主がいて依頼主の要望に沿う形で作り出し、仕事として成立する。
「お役に立てるものを作る人」
webクリエイターやデザイナーがここに当てはまるのではないだろうか?
アーティストとは『表現する人』または『芸術家』
依頼があろうなかろうが自分の内なる世界観を作り出す人だ。
その世界観に共感を示した人が、そのアーティストの作品を購入する。
つまり「役に立とうが立たまいが作る人」
勝手な括り方になってしまうが
『マーケットに合わせて作る人がクリエイター。そもそもマーケットなど関係なく作り続けるのがアーティスト』
こう考えるとわからやすい。
俺は圧倒的に後者だ。
世間的なニーズなど考えたこともない。
俺の胸の中から湧いてくるものだけを作っている。
そして、俺を支えてくださるお客様の皆様は今現在確実に少数派だが、めちゃくちゃ熱量の高い方ばかりだ。
俺と今現在の俺のお客様の関係は、有名ミュージシャンとファンの様な遠いスターと数多のファンというよりも、ライブハウスで熱狂を生み出しているパンクバンドやアングラ演劇界の演者とファンの関係に近い。
つまり俺のお客様も、非常に感度が高い。
そんな方ばかりだ。
どこにもない一杯がここにあり、それを求める熱量の高いファンがいる。
これがアートでなければなんなのか?
だから俺はアーティストで間違いない。
…で、なにの?
スープヌードルキュイジーヌと名乗るとよく言われることがある。
「長い」
「わかりにくい」
「伝わりづらい」
「略して欲しい」
そうだろうそうだろう。
そんなこと織り込み済みだ。
分かりにくいことをじっくりと時間をかけてわかってもらえた時に、深い深い理解が待っている。
だから略すなどもっての外だ。
スープヌードルキュイジーヌはスープヌードルキュイジーヌであり、スープヌードルキュイジーヌはジャンルであり哲学であり概念でもある。
安売りはしない。
しかしスープヌードルキュイジーヌはジャンルではあるが、肩書きではない。
5月ごろに名刺を作り直そうと考えている。
そこで思いついたのが…
ヌードルアーティスト
だ。
どうだろう?
シンプルで分かりやすいのではないだろうか?
スープヌードルキュイジーヌを生み出すアーティストとしてのヌードルアーティスト。
ヌードルというと麺だから『製麺』をイメージさせるのかな?とも思ったけど、スープヌードルアーティストと名乗るとまたこれ長い。
だからまた何かいいものが思いつくまではヌードルアーティストと名乗ることにしたい。
もっと抽象的かつ一言でバシ!と意味の伝わる言葉を思いついたらそれに変える。
ヌードルアーティスト、ええやん、今は満更でもない気持ち。
ヌードルアーティストの南です。
どうぞよろしくね。
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